適当な写真と原稿があれば読まれる
今回のこの言葉は、(今から10年ほど前=1995年頃の)パソコン雑誌からです。ただし、何の雑誌名だったか忘れました。実際の文章は、もう少し長く概略次の通りでした。(このページ掲載写真は、文章とは関係ありません)
「ホームページは、今や誰でも作れるようになった。ただ、閲覧者に読まれるかどうかは、そのページに合う適当な写真と、長くもない短くもない適当な文章があればの話しである」と。あと、「写真の大きさ(メモリーも)は、あまり大きくない方がいい」とも書いてありました。
この当時の状況も少し説明致します。まだ、ADSLなどのブロード回線は、一般化していなかったはずです。また、デジタルカメラは一般にも普及し始め、その頃私も35万画素の最初のデジタルカメラを購入しました。
あと、さらに時代は前に話になりますが、ホームページ作成の初期段階の頃は、それこそ国語辞典みたいなソース(タグ)の勉強から初めなければなりませんでした。
このタグの勉強が、初心者にはまるで宇宙語か、呪文みたいに思えて、高いたかい壁がありました。ただ、この勉強をキッチリされた方は、今も基本的には同じですから、ページ作りに強いし、何かの対応にも早い方だと思っています。
その後、難しいタグの勉強をしなくても、半ばワープロ感覚で出来るホームページ作成ソフトが次からつぎへと出てきたのは、皆様ご承知の通りです。そのような時に、今回のこの言葉を私は見ました。誰でもホームページが作れると言うのは大変いいことになったなあと思いました。
しかし、せっかく、開設したのにその後、追加ページも更新もされずにそのままの状態におかれていることについて、冒頭のパソコン雑誌の筆者は、その対策を書いておられたのだと思います。また、さらに、閲覧者にとって「見てみたい」と思わせる最低限のページ作りとして、今回の言葉の内容が必要ではないかと言う意味で提案されていたと思っています。
つまり、この言葉は、もっと分かりやすく言うと1ページに写真だけ並べても、それは閲覧者にとって「見ているのであって読んではいない」と。 いくら文章が得意であっても、長々と文章(テキスト)のみを何ページも掲載すると「見てもくれない、ましてや読んでもくれない」のではと。それで、閲覧者の方にホームページを見て、読んでもらえるコツを読者に教えるために、この著者は、今回の言葉を書かれたのだと思います。
ただし、長い文章でも例えば魅力のある内容や専門書的な要素があれば、それは全く別です。上記に書かれているのは、あくまでも一般のホームページ内容と言うことです。
現在(2005年8月時点)は、その当時に比べても、光ファイバーを初めブロード回線は、各家庭に引かれているのは当り前状態になり、メモリーの関係上細部にまで気を使っていた写真サイズについても、けっこう大きいものも掲載できるようになりました。また、ビデオの動画を筆頭に、チカチカ、ピカピカ動く画像についても、当初はカクカクとぎこちないものでしたしが、いまは滑らかになりました。さらにその種のページの数自体も、本当に増えました。
ただ、しかし、ホームページ自体の基本そのものが変わったかと言うと、私は、大きくは変わっていなように思います。テレビは半世紀くらい、新聞に至っては何百年かの歴史があるかと思います。そんな長い歴史があっても、これから述べることはあまりにも極端なことかもしれませんが、例えばテレビや新聞で料理番組の味付けやワインの試飲もできるようになったと聞かないと同様です。
基本が大きく変わらない限り、今回取り上げた言葉も、今も通用するような気がします。ただ、そのことが分かっていても、他の方からは単純なページ作りと言われたとしても、なかなか、実際のページ作りとなると、色々な難しさがあることも当時も今も私にとっては変わりないことです。(記:2005年8月26日)