TOP INDEX BACK NEXT

聞いた言葉・第51回目、ノボセモンを大事にする

 
ノボセモンを大事にする

 この言葉は、2004年11月12日に開催された大村市顧問会議公開講座で、聞きました。まず、この講座名は「日本のリーダーが語る これからの大村市」と言うタイトルが付けられていました。基調講演の後、6人の大村市顧問がパネルディスカッションされ、たくさんの発言・意見がありました。

 内容は講座名のタイトル通り、大村市の町おこし・地域振興、経済活性化などが主なテーマでした。(詳細は、大村市広報誌2005年1月号「特集1 創ろうこれからの大村市」をご覧下さい)

 その中で、ある方から概要(念のため、発言はこの通りではありません)「町おこしなどで突出したことを考える人に、まわりは冷たい傾向がある。むしろノボセモンを大事にしてやっていく必要がある」との趣旨を提案されました。

 つまり、町おこしその他何か行動する時、まわりの人と変わったことを提案したり、従来と違う手法でおこなおうとする人に対し、(大村弁で)「あん人は、かわっとらすけんが、うてあわん方が良か」(あの人は普通の人と違った変わった考えの持ち主だから、相手にしない方が良い)と言って冷淡な場合が多いと思います。

 そのような考えではなく、むしろ「従来のやり方ではなく、違ったやり方も挑戦していくべきで、そのためにもノボセモンみたいな人も大事にした方がいいですよ」と、この顧問の方は言っておられたように思えました。

 話しは、少し脇道にそれますが、この「ノボセモン」という言葉について自分勝手流ながら補足いたします。ノボセモンという言葉は九州では広く使われているようです。語源は、「のぼせる」からきていると言われています。さらにその意味は、たくさんあるようですが、主に、熱中する、ぼうっとする、あるいは自分の能力にうぬぼれるとかもあるようです。

 確かに、この「ノボセモン」は、上記の意味通りもあるのですが、大村弁(長崎弁)的には、ちょっとだけ違う感じもします。人によっても使い方や意味も場面によって変わりますが、もう少し幅広いようです。(私は生まれも育ちも、現在も大村ですが、大阪で25年間働き住んでいた時期もありますので、それなりに分るのですが)大阪弁の「アホ」みたいな感じにも似ていますし、そんな風に使うこともあります。

 また、このノボセモンの言葉は穏やかな時はなんともないのですが、この言葉が高じて「お前! ノボスンナ!」とお互い言い合えば最悪掴み合いの喧嘩にもなりかねません。逆に、講演など人前で冒頭「私は、生まれつきノボセモンですけん、我慢して聞いて下さい」と言えば、なんか謙虚で共感される言葉でもあります。このように、短い言葉ながら、なかなか幅広くて簡単な定義付けや説明が難しいものです。

 話しは戻りますが、現在、この「ノボセモン的発想」、「ノボセモン的手法」が、町おこしでもあるいは広く会社や商売でも求められていると言うことのようです。つまり、従来型の発想、手法などは袋小路に入ってしまって、何回やろうがいくらお金を使おうが、現状打開できない状況が、どこの分野でも続いていると言うことです。

 私はこの「聞いた言葉」シリーズの『反対意見にも、真理あり』と、『毒にも、薬にもならない話し』ページにも書いていますが、他の方と同じことや従来と同じような意見を言うことは安心感があり、居心地がいいものです。逆に、違った意見や提案は、けっこう勇気が必要だと書いています。

 しかし、「お前は、ノボセモン」と人から言われようが、それにより嘲笑を受けたと感じながらも、その雰囲気・環境に負けずに言い続ける人は単なる勇気があるとだけ見るのではなく、やはりそこに何かがあると考えた方がいいと思います。それはなぜか。当然思い付きの発想もあるかもしれませんが、中には自分なりに一生懸命考えてかんがえて出している意見だからと思うし、だからこそ動き出したらまわり巻き込んで凄いエネルギーが湧き出る感じがします。

 このノボセモン的発想や行動が全て良くて、時代に合っているみたいなことは思いません。でも、せっかくその人が考えて言っているのによってたかってノボセモン潰しみたいなことをしていないのかなあと、思うこともあります。いつの時代も、人から非難嘲笑を受けながらも、自らの信念を信じて行動し、多くの方の役に立つようなことをされたのは、むしろノボセモンの諸先輩ばかりだったと思います。現在のノボセモン、頑張れ。(記:2005年4月9日)

TOP INDEX BACK NEXT