聞いた言葉・第73回目、『ラストフライト』
ラストフライト
ラストフライトという言葉は呼んで字のごとくですが、けっこう色々な場面で使われています。マスコミ報道などでよく使われるのは、例えば「30年間も日本の空を飛んでいた・・・・・機種は、今日がラストフライトを迎えた」とか「長崎空港と・・・空港間の路線は長年親しまれてきたが、今月末で何十万人を運んでラストフライトになった」みたいにです。
(私は空港の仕事を離れて10年経ちますので現在の状況は分かりませんが)客室乗務員の結婚などによるラストフライト当日の最後には後輩の方などによる花束などもあり、感激の涙の場面ながらも、何かしら華やいだ雰囲気も何回も見てきました。 また、ずっと以前の話ですが、私はたまたま乗客として飛行機に乗っていた時、着陸してターミナルビルに着き客室乗務員の方から「長年、お世話になりました」の言葉があり、期せずして乗客の方も拍手がありました。 降りるドアの近くで口々に「お疲れさん」、「体に気をつけてね」などの声もかけられていたようで、返事は言葉にならないようでした。 私は当時まだ30歳代だったと思いますが、あーいい光景だなあ、お客さんからもねぎらいの言葉があるのかと思いながら見ていました。たとえ、その一瞬の時間かもしれませんが、その場の空気の一体感さえもあるのだなあと後で思いました。何かの芝居と違って、自然にできた雰囲気は、いつまでも覚えているものです。 航空の仕事場は、飛行機自体が燃料効率や航空力学上(適切な言葉ではないかもしれませんが)”合理化の塊”みたいなもので、その分あらゆる面で人の助けが要るようになっています。(沢山職種があり過ぎて書き切れませんが)予約、航空券、貨物、整備、運行管理、地上支援、管制あるいは救急体制なども含めて、本当に人の手、人の輪でなりたっている産業だと思います。「唯我独尊(ゆいがどくそん)我一人行く」みたいなやり方では、成り立たない仕事でもあります。 そのような中で大過なく定年を迎えられるのは、まずその方が率先して人の輪を大切にされ、与えられた任務を着実に日夜努力された賜物ではないでしょうか。あと私の想像ながら、まず何よりも体が丈夫でないと勤まらないと思います。つまり、体調に留意・節制され、たまには飛行機と同じようにメンテナンスやオーバーホールしながらも、とにもかくにも健康管理されてきた結果と思います。それには、当然家族の支えが一番だったろうと考えています。
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(記:2007年2月26日) |