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聞いた言葉・第88回目、『医食同源』

 

医食同源

 今回のこの言葉、医食同源(いしょくどうげん)とは、大辞泉によると「 病気を治療するのも日常の食事をするのも、ともに生命を養い健康を保つために欠くことができないもので、源は同じだという考え。古くから中国で言われる。 」と書いてあります。テレビ、新聞、雑誌類含めて健康を題材にした企画では、なんらかの形で良く取り上げられる言葉でもあります。

 私も過去何十回も見たり、聞いたりしたような気がしていましたが、若い頃なんか「ふーん」と言う感じでピンときていませんでした。でも、それなりに無理の効かない、あるいは例えば階段の登りなどで「あれー、以前はこんなんじゃなかったのになあ」と思う年代になってみて、改めて何だろうなあと感じる言葉でもあります。

 この医食同源は冒頭の国語辞典の通り中国からきていますが、さらに元の言葉をたどると「薬食同源」(やくしょくどうげん)からのようです。私は、こちらの言葉の方が、むしろストレート表現で分かりやすいかなあと思ったほどです。

 自分流に解釈すると、つきつめたら日常の食事も(何か病気になって飲む)薬も同じようなもので、どちらも大事だと言うことだろうと考えています。そう言われれば普通なら一日三食として、単純計算ながら1年(365日間)では1,905食となり、一生を100年間生きたとして109,500食となり、その量や重さまで計算すると相当なものです。

 いつも健康を気にしながら食べるものではないかもしれませんが、それでもそれなりに何か考慮したものか、あるいは毎日が暴飲暴食とまではいかないまでも何も気にせずに食べ続けるのでは、やはり、その結果かと言いますか効果は、かなりの差が表れることは数字上からも分かるような気がします。

 つまり、常に食事のことを考えていれば色々な病気の予防にもつながるし、たとえ病気になったとしても薬だけでなく食事にも効果あるものを考えなさいと、この中国のことばは言っているのだと思います。食い意地がはって何でもパクパク食べる私には耳の痛い言葉でもあります。

 あと、昨今毎日のように報道されていることで、食品の問題などがあります。問題の食品を製造・販売している会社に対し、改めて医食同源の言葉をどう思っているのか聞いてみたいような気もします。大もうけのためなら何やってもいいと言うのが先にあり、そのためなら、どんな食品を売っても構わない経営があるなら、この言葉は当然必要はないでしょう。


(記:2007年11月22日)

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