一幅の絵画は千の言葉を語る(1枚の絵は千の言葉を語る)
今回のこの言葉一幅(いっぷく)の絵画は千の言葉を語る(1枚の絵は千の言葉を語る) <As the saying goes, a picture says a thousand word.>について、私は映画ダ・ヴィンチ・コード=The Da Vinci Code(2006年5月20日より全世界で封切りされた。日本語字幕:戸田奈津子さん)で知りました。冒頭からお断りを書いておきますが、今回の『聞いた言葉』シリーズは映画内容の紹介でなく、 あくまでも言葉についての感想などが主であることをあらかじめ、ご了承願います。
また、今度のページで映画のセリフ部分は、全て同名のDVD版日本語字幕と英語字幕を参照、引用して書いています。この言葉を述べるのは、パリの講演会場スクリーンに大きな文字『The Interpretation of Symbols(図象の解釈)』を背に しながらハーバード大学教授ロバート・ラングドン役のトム・ハンクスが話しているところで出てきます。 私は英語が出来ないので当然、日本語字幕で知りました。
この言葉を見た時、なかなか分かりやすい翻訳だなあと思っていました。特に、「a picture」を「1枚の絵」と訳さずに「一幅の絵画」と表現しているところが、いいなあと考えました。素人の私が言うのも何ですが、 このような翻訳が出来る方は英語がずば抜けて堪能なばかりではなく、そもそも豊かな日本語を知っておられる方だとも想像しました。
なお、ご参考までに、この「一幅(いっぷく)」という言葉は、床の間などに飾ってある書画、掛けもののことを言うそうです。個人的な感想ながら英語よりも、この日本語の方が歴史を感じるだけでなく、言葉の持つ奥行き、広がりさえあるのではないでしょうか。
あと、話の順序が前後して申し訳ないのですが 、この言葉の前に映画ではセリフの導入部分でラングドン教授は、「象徴(シンボル)は過去を知る言葉と言えます。(Symbols are a lamuage that can help us understand our past.)」とも 言ってます。
その後、色々な絵や図をスクリーンに示しながら、例えば全身に白い服装で三角頭巾を被っている絵を見せると聴衆から「憎悪、人種差別、KKK」(の服装だ)との声がかかり、教授から「スペインでは司祭の服です」と。また、3本の槍のような絵を見せると会場からは「悪魔の槍」との発言があり、 それに対し教授の方から「海神ポセイドンの力を示す三叉(みつまた)の矛(ほこ)です」との答えなどが続きました。
また、背景スクリーンにはナチスドイツのハーケンクロイツ(鉤十字マーク)は元々、仏教の卍から来ていることなども映し出されていました。ここからは私の勝手な解釈ながら、このようなシーンを見た時、同じような一つのシンボル(絵や図など)を見ても、国、民族、地域や歴史の違いなどから見方、感じ方、考え方が全く違ってきていると、教授は言いたかったと思いました。
その後、ラングドン教授は、「我々は過去を知ることにより、現在を理解できるのです。”真実だ”と信じること、”真実”をどう見分けるのか。私たちのことを伝える歴史を、どう書き残せばいいのか。 何世紀もの長きにわたって歪められた歴史から元の真実を掘り起こせるのか、今夜は、その探求の旅です」とセリフは続いていました。私は、このラングドン教授の話しをしているのを聞いて、映画とは知りつつも『図象の解釈』講演内容そのものを、もっと数時間聞いてみたいような気になりました。
話は全く脱線してしまいますが、私も地元の福重郷土史同好会で福重の歴史や大村の歴史などを色々な方々に教えて頂いています。その時代じだいに歴史を書いた先人のご努力は大変評価しつつも中には、当時の為政者を偉大に見せるため意図的に間違った記述をしていることも知りました。(この項については、例えば私の「福重ホームページの「大村の歴史を考えるシリーズ」の『お殿様の偽装』、『大村の偽装の歴史や表現一覧表など』をご参照下さい)
その他、日本史あるいは世界史レベルでも、まるで今では「常識」みたいに思われている歴史事項も真実は全然違うところにあるのも多くあるのではないかと推察しております。あと話は映画ダ・ヴィンチ・コードに戻りますが、この冒頭のラングドン教授発言に沿うような形で謎解きの物語は展開していきます。私は、「聞いた言葉」シリーズ第92回目「デジタル時代の鳩時計」に既に書いていますが、「映画について、その時間楽しめればいいと言う考えの持ち主」です。
ですから、映画それ自体は難しい解釈をしたくないのですが、今回のこの言葉「一幅の絵画は千の言葉を語る(1枚の絵は千の言葉を語る) 」は、「歴史上の事実・真実はたった一つでも、それを記述するとなると、それこそ千も万もあるのではないか、だからこそ今まで”常識”と思われている事柄でも別角度から真実や真理の探究をされたらどうですか?」と問いかけているような気がします。
最後に補足みたいな書き方になってしまって申し訳ないですが、英語の出来ない私にとって外国映画を見る時、日本語字幕は一番頼りで、それなしでは見れません。でも、私は今まで字幕はあって当たり前みたいに思っていました。しかし、今回色々と調べてみて改めて分かったのですが、字幕はたとえ長いセリフでも映像表示時間の制約その他で短く表現せざるをえなかったり、独特の口語調の英語を日本人にも分かりやすい内容にしたりと大変苦労されているのではないかと推察しました。
また、別の見方をすれば日本語字幕の良否で、その俳優さんの評価ひいては映画の評判まで変えてしまうのではないかと思うほどです。その意味からして翻訳家の方々は「影の主役」か「アカデミー賞並みの力量」が求められているのではないでしょうか。私は、外国語映画に日本語字幕はあって当然ながら、水や空気みたいに大事なものかなあとも考えつつ、関係者のご努力に敬意を表します。