『福重ホームページ』(2003年12月1日開設)について
最初に、私は、生まれ育ちも現住所も大村市福重地区です。この地域の方々には、大変お世話になっています。
まず、私が通った福重幼稚園(現在は福重町、当時は「矢上郷」でした)、福重小学校(同前)、郡(こおり)中学校(現在は沖田町、当時は「沖田郷」でした)までは、全部この福重地区にあります。
その後、大村高等学校(大村市久原町、ここは福重地区ではありません)を卒業後、大阪空港で25年間働き(その間主に池田市に在住)、その後再度この福重地区で住むことになりました。
私は、学生時代に何回となくこの福重地区、旧「福重村」と言って、江戸時代以前は大村市の中心地(=長崎県の中心)で、『郡七山十坊』(こおりしちさんじゅうぼう)と呼ばれるくらいに、この地域には神社仏閣が多く、歴史と伝統のある所だと習っていました。ただ、私は、勉強嫌いの出来の悪い生徒(笑い)でしたので、この当時、このことについて、あまり関心がありませんでした。
大阪に就職してから、たまの帰省時に書店で大村に関する歴史の本(「大村史談」や「大村の文化財」など)が興味を引きました。その後、30冊くらい、購入したり、田舎から送ってもらって、ずっと読んでいました。
これらの本は、これはこれでいいのですが、大村市全体みたいなまとめ方になっていて、福重地区に限った本の作りはありませんでした。「誰か、福重地区の歴史の本を作って下さらないかなあ」と他力本願丸出し(笑い)で、思ってみたり、せめて、自分の住んでいる町内付近の史跡写真だけでも撮って、それに簡単な説明書きを掲載するだけでも自分で出来ないかなあとも考えていました。
そのような時に、福重地区町内会長会で2003年3月1日に『福重のあゆみ』という古代から現在に至る詳細な本が出版されました。この本を手にした時、「わあっー、これはいい」と思い、その日の内に全文読みました。その後、この本の続編が検討されていること、さらには2003年11月から月2回ペース(合計8回)で、この本を教科書に『福重郷土史講座』が開催されることも分かりました。(当然、私はこの講座に参加しています)
私は、この『福重のあゆみ』及び『福重郷土史講座』をもとに、ホームページが開設できないか、同時に考えていました。なぜかと言いますと、印刷物はそれなりの予算やまとまった構想や構えが必要ですが、私は常に”金欠病”(笑い)にかかっていて、それは無理でした。
ホームページなら、休みの日に私が書いた原稿や撮った写真などをたとえ1枚づつでも、順次掲載も可能です。この方式ならば、元来サボり癖(笑い)のある私でも長年追加ページを増やし更新を続けていけば、いずれは何十ページか何百ページか、まとまったものになりはしないかと思ったからです。
また、正直なところ(そうならないように努力はしてはいるのですがそれでも)間違い字の多い私(笑い)としては、ホームページなら訂正もしやすい利点もあります。それに現在の私が撮った福重小学校、福重地区の各種行事や各地の写真だけではなく、戦前や戦後間もない古写真なども載せたいなあとも思いました。
(かつて私も同じでしたが)学校卒業後他県で就職した(あるいは結婚その他で福重を離れられた)福重地区出身の方々が、たまに故郷の情報、行事、歴史、写真などを見たいなあと思われた時にホームページなら国内外どこからでもインターネット回線さえ繋がっていれば閲覧可能とも思いました。
あと、私もそれなりのオッサン年齢(笑い)になりはしましたが、インターネットやパソコン関係の仕事をしている関係上、若い方や学生さんとも接する機会もあります。この『福重ホームページ』は、そのような方々にも分かりやすいような文章やページ作りにしたいなあとも考えています。
インターネット回線はないけど、この『福重ホームページ』、(私が撮った、加工作成した)写真や資料を見てみたいと思われる方、少しまとまった人数(例えば、子ども会、青年団、婦人会、老人会、町内会など)なら、今はパソコンにプロジェクターを繋ぎスクリーンで大勢で見ることも可能です。ご一報下されば、喜んで持参します。
さらに、福重地区内などで開催されるイベントなどの行事、あるいは史跡や広く公開したい情報などをお持ちの方、大いに歓迎いたします。Eメールその他で教えて頂けないでしょうか、是非お願いします。
最後に、開設間もないこの『福重ホームページ』、最初は少ないページや写真数ですが、とにかく気長に、長いながーい目でご覧頂けないでしょうか。どうぞ、よろしく、お願い致します。(記:200312月12日)
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