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(写真1) ゴシック建築の聖母教会(平地のエスリンゲン旧市街地より少し小高い所にある。塔は工事中かな? 左側はブドウ畑)

エスリンゲン観光その6、ケスラー醸造所、戦没者記念碑、聖母教会、救助犬など

2015年12月19日
(ドイツ時間)
 前ページ「エスリンゲン観光その5、旧市庁舎周辺のクリスマス市と、ドイツ最古の木組みの家など」には、中世の格好をしたクリスマス市、旧市庁舎、ドイツ最古の木組みの家などを書きました。

(写真2) ケスラー醸造所(左側の『建物。中央部に標識あり)
(写真3) ケスラー醸造所の看板(注:上記は合成写真)

(写真4) 戦没者記念碑(半円上部と下部の説明板に碑文あり)

(写真5) 橋の上のアコーディオン弾き(中央やや右の2人組)

(写真6) ドイツ赤十字の救助犬(左端側は、ぬいぐるみの犬)
(写真7)  ドイツ鉄道の連結部
(写真8) )ドイツ鉄道の運転席

 今回のページでは、その旧市庁舎から少しだけ西側周辺あるケスラー醸造所、戦没者記念、聖母教会、救助犬などについて書いています。念のために、ページ最上部に聖母教会の写真を掲載していますが、ここには時間なきため行けませんでした。

ケスラー醸造所(SEKT KELLEREI KESSLER)
 私たちは、にぎやかな旧市庁舎前広場のクリスマス市から離れて、ライトハウスプラッツ通りからマルクトプラッツ通りへ進みました。このまま行きますと、エスリンゲン駅方向のバーンホーフ通りにつながるのですが、私たちは、二つの塔が特徴の聖ディオニス教会の裏(東)側にある細い路地を南側へ、それて歩きました。

 石畳のゲオルク・クリスティアン・フォン・ケスラー・プラッツ通りを歩いていましたら、1階が石壁、それ以上の5階位まで木組みの大きな建物が見えてきました。(写真2参照) そして、目算で高さも横幅も3mはあろうかと思えるアーチ型に似た薄茶色系の大きなドアと、壁にはめ込まれた看板(標示板)二つが見えました。(写真3参照。注:これは合成写真) 写真の通り、この周辺の通りは、上部がすり減って丸まった石畳みの雰囲気も良い所でした。

 (写真3の左側参照) あと、先の標示板(濃い緑色の方)には、「SEKT KELLEREI KESSLER GEGR 1826」との文字が見えました。これは、日本風表現なら、「1826年創業ゼクト
(スパークリングワイン)醸造所・ケスラー社」とでも言うのでしょうか。

 なお、このケスラー醸造所は、ドイツ語ホームページを見ますと、「1826年から2016年(現在)で、創業190年、ドイツ最古のゼクト
(スパークリングワイン)醸造所」のようです。また、創業者は、通りの名称にもなっているゲオルク・クリスティアン・フォン・ケスラー・プラッツ氏でしょう。下記の国語辞典の大辞泉も参考までに、ご覧願います。

  ・ゼクト(Sekt)= ドイツの高級スパークリングワイン。
  ・スパークリング‐ワイン(sparkling wine)=液中に炭酸ガスを含む発泡性ワイン。シャンパン・ゼクトなど。発泡ワイン。


 ヨーロッパでも、あるいは昔の日本でも、大抵どの町や村にも一つくらいの造り酒屋(醸造所)があったものです。今回の観光地にもあるとは思いましたが、まさかエスリンゲン旧市街地を代表するような、中心地と言うべき聖ディオニス教会や旧市庁舎近くに醸造所があるとは意外でした。

 あと、スパークリングワインと言えば、私も数回は飲んだことがあります。グラスに注ぐと時に出る、シュワ〜シュワー、しゅわーとの細かな泡や音も含めて思い出しました。また、スパークリングワインは、私の中ではフランス産と言うイメージが強かったのですが、この地にも老舗の、高級なゼクト(スパークリングワイン)を造る醸造所あるとは、思いもしなかったです。

戦没者記念碑(戦士の記念像)
 私たちは、この醸造所の建物南端まで来たので、今度は戻る感じで進みました。そして、ケスラー醸造所横、聖ディオニス教会南側の壁を半円にくり抜いた感じで、枕を頭にして、体は平板かベッドに横たわっているような戦士の記念像を見ました。(写真4参照)

 そして、その半円上部の石壁部分には「FURCHTLOS UND TREU」、下部の濃い緑色説明板には「FURS VATERLANND STARBEN 1870-71」(大文字)と、小文字で32名の階級、名前、出身地などが、びっしり彫られた碑文がありました。

 これからは、いつもの私の怪しげなドイツ語訳ながら、上記の「FURCHTLOS UND TREU」は『大胆で忠実』、「FURS VATERLANND STARBEN 1870-71」は『1870年〜1871年に祖国のために死んだ』と解釈できるのではないでしょうか。これらを続けて日本語風に意訳しますと、「祖国を守るため1870年〜1871年戦争で大胆で忠実に戦い、戦死した英霊の記念碑」とも解釈できるでしょう。

 さらに、下部の碑文を良く見ますと、戦没者の出身地欄で、エスリンゲンが多いので、地元出身者や関係者を慰霊するために建立されたのではないでしょうか。
(ご参考までに、1871年といえば日本では明治時代初期で、廃藩置県がおこなわれた年です)

 私たちは、この記念像に一礼して、聖ディオニス教会南側にある細い路地のゲオルク・クリスティアン・フォン・ケスラー・プラッツ通りを歩いて、次のアプト=フルラート通りへ行くことにしました。

遠景に聖母教会とブドウ畑
 (写真1参照) この通りを歩いていますと、北側方向に聖母教会( Cathedral)と、その左側(西側)方向に広いブドウ畑が見えていました。この聖母教会は、14世紀に建築された、ゴシック様式のようです。ただ、ちょっと残念だったのは、どうも塔の部分が工事中のようで一部に鉄パイプや側面にテントがあったようです。この周辺は、平地ばかりのエスリンゲン旧市街地より、少し小高い所にありましたので、ブドウ畑ともども、どこからでも良く見えていました。

橋の上のアコーディオン弾き
 さらにアプト=フルラート通りを進みますと、来た時に見た木組み家の飲 食店「L'Osteria(エル・オステリア)」と、ロスネッカー運河に掛かる橋が見えてきました。この橋の上では、男性2人組のアコーディオン弾きが、演奏中でした。 (写真5参照)

 曲目までは覚えていませんが、私のような音楽ド素人が聴いても、なかなか、うまい演奏で、しばし足を止めて聴き入りました。また、演奏家は元々が真面目な方が多いのでしょうか、この二人は、顔付きだけでなく、ずっと譜面の方
(やや下向き)を見ながらで弾いておられ、より一層真面目さが伝わりました。

 そして、何故この橋の上で演奏中かと言いますと、私の勝手な想像ながら、写真5の通り、ここは綺麗な白色の欄干
(らんかん)、後方に木組みの家や聖ディオニス教会と、絵になる風景だからと思いました。

救助犬
 さらに橋を進みますと、背中の両脇に赤十字マークの布を付けた犬が台の上にいました。 (写真6参照) 横に大人の人(ヘルパー)がいて、その方のジャンパー(背中)にも赤十字のマークと黒い文字が貼り付けてありました。この文字は、上部に「DEUTSHES ROTES KREUZ (ドイツ赤十字) 、下部に「Rettungshundestaffel(リレー救助犬)」がありました。

 私がホームペー上から調べてみますと、この救助犬は、エスリンゲンから南方向にある町から、ここに来ているようでした。ここの犬か、どうか私は全く知りませんが、たまに、大地震後などに世界各国で活躍している救助犬の姿をテレビなどで見てはいました。

 ただ、実物を見たのは、今回が初めてでした。テレビなどからのイメージとして、もっと大きくて、いかつい感じの犬かと思っていたのですが、ここで見た救助犬は、中型犬位で優しい感じに見えました。思わず、「可愛いいね。頑張っているね」と声掛けながら写真を撮りました。

さらに人出が増えたバーンホーフ通りのクリスマス市
 橋を渡り、再度バーンホーフ通りに戻ってきました。もう何回か見たシュルツ塔やスカイウォーカー(「綱渡り名人」)のモニュメントを後にしながら、来る時に通ったバーンホフ通りのクリスマス市は、さらに人出が多くなったようです。(この通りのクリスマス市は既に掲載中の「エスリンゲン観光その1、 エスリンゲン駅とバーンホーフ通りのクリスマス市など」ページ参照) 

 私たちは、トイレ休憩も兼ねて、この通りに面して建っているカールシュタット・デパートに入ることにしました。店内をキョロキョロしながら、エスカレターを乗り継いでいきますと、そこは有料のトイレでした。帰りに出口付近で白衣のようなものを来た方に、ありがとうと言いながら、また、店内を見て歩きました。ただ、昨日(12月18日)シュッツガルトで見たブロイニンガー・デパートのような建物自体に特徴がなかったこともあり、ざっと一周した感じで外へ出ました。

DB電車の運転席
 バーンホーフ通りからズュートタンゲンテ通りを経て、エスリンゲン駅前広場に入り、ここで数枚の写真を撮りました。(この駅舎写真掲載ページは、ここからご覧下さい) ホームに上がりますと、赤い色のDB(Deutsche Bahn、ドイツ鉄道)の列車が、停車中でした。 (写真7参照) 運転席の外側には、上部に白地の太い文字で「Wir fahren fur die Region」、下部に黒地の細文字で「Region Stuttgart」が見えました。

 これを自動直訳しますと、「私たちは、シュトゥットガルト地域のために行きます」となりますので、私の勝手な意訳ながら「シュッツガルト地域内電車」と解釈しました。ドイツ鉄道は、その名の通り全国に鉄道網がありますので、この列車はシュッツガルト地域内のみの限定的な、つまりローカル路線を運行している専用車両ではないでしょうか。

 この時、電車の発車時刻まで15分間ほど待ち時間があり、しかも運転席には、まだ運転士もいませんでした。「これは、シメシメ」と思いながら、早速、遠近2枚の写真を撮りました。その内の1枚が、(写真8)です。

 どこの国の電車とも、運転席は機能重視でしょうが、この列車も「シンプル・イズ・ベスト」のようでした。計器類の配置や、その手前側のテーブルも、見やすく、ゆったりした感じでした。私たちは、座席に座って雑談していますと、12時05分に静かにスルスルっと言う具合に、電車は出発し、みるみる駅ホームは見えなくなって、車窓いっぱいにエスリンゲンや遠くの山並み風景が広がっていました。

 そして、途中乗り換えをするためにブラグザッテル駅のホームで、次の電車を待ちました。今度の電車は、もう見慣れてきました全体黄色塗装のSSBでした。このSSBの省略文字は、直訳すると「シュッツガルト路面電車」となりますが、まあ、「シュッツガルト市電」との呼称が合っているような感じでした。

 5分程度で、目的のヴィルヘルム・ガイガープラッツ駅に到着しました。そして、(既に「シュトゥットガルト、 ヴィルヘルム・ガイガープラッツ駅と買い物など」ページに掲載中の)駅構内の壁にある黒一色の絵を撮影して、出口のある階段を登りました。

(掲載日:2016年8月1日)
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(旅行メモ)
2015年12月19日(ドイツ時間) エスリンゲン(Esslingen am Necker)観光
11時15分、ドイツ最古の木組みの家前の通りとクリスマス市
11時25分、ケスラー醸造所前、戦死の記念像などを見学
11時35分、橋の上でアコーディオン演奏
11時40分、バーンホーフ通りのカールシュタットデパートに入る、トイレ
11時55分、エスリンゲン駅前広場で撮影
12時05分、エスリンゲン駅を出発
12時30分、ブラグザッテル駅に到着、乗り換え
12時35分、ヴィルヘルム・ガイガープラッツ駅、構内の壁にある黒一色の絵を撮影
12時45分、シュトウットガルター通り横の歩道で学生がブラスバンド演奏中
12時50分、ウィヒテル・ビヤホールに入る、生ビール、肉入りスープ、サラダなどを注文
14時10分、ビヤホールを出て再度来た通りを歩く
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