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聞いた言葉・第120回目、『無から有へ』

無から有へ

  この言葉は大変一般的ですが、私の最初の印象の中では高校の卒業アルバムの何か一言欄に誰かが書いていたような記憶があります。当然、この当時自分自身は、何も考えず、さらっと見た程度が正直なところです。あと、この無から有へとの言葉を見れば、私のように物事なんでも深く考えない者にとって、どうしても形になっている物そのものと思ってしまいます。

 形ある物で手で触れられる商品ならば、それを作られる側(売る側)も、購入する側も金額の大小は別としても価値観そのものは判断しやすいのかなあと思います。たとえば分かりやすい例として年間何十万台と大量販売されるパソコンとか自家用車など、逆に年間数個しか造られない美術品的な価値のある焼き物とか宝石などが販売されていたら、それらに関しては売る側も買う側も、さらに広げればそれらにあまり関心ない人も含めて、ある種の”共通認識”があるような気がします。

 つまり、「あの商品は大体・・・万円くらいだなあ」とか「一家に1台くらいはあるなあ」とか、たとえ自分自身が日常使わない物であっても、その商品名や物品名を言えば、大雑把であっても概要は分かるかなあと思います。また、それらの商品に対して、どうしても欲しい方は購入されるでしょうし、逆に関心のない方は見向きもされないでしょう。このようなことは個人差などあっても、世間あまたある極めて一般的な事象と言えます。このように形ある物は、やや乱暴なものの言い方ではありますが、ある種の”共通認識”のおかげで、私のような者でも比較的分かりやすいと思います。

 ところが、この無から有へは先に述べた形のある物だけでなく、例えば何かのアイデアとか多くの方々と実行していく形態など、形として最初から最後まで見えにくものも世の中には本当に様々あるのだなあと、そう思いました。また、むしろ形ある物よりも、形として直ぐに見えない分、造り上げるのに難しいなあとも実感しました。

 その中でも例えば自分単独あるいは家族などで造りあげるものはマダいいのかなあとおもえます。しかし、何かの地域や親睦会など、家族でもない会社組織でもない方々と一緒になり造りあげていくケースは並大抵ではありません。

 今まで、その地域やその親睦会には何もなく、そこから一つのアイデアを元に無から有への取り組みが、仮に始まったとします。たとえ、いい提案内容であっても、まずはそのことに賛同される方がいるのか、どうかから始まります。

  なんとか賛同者がいて、その方向性に向けて会議などが開催されても、利害関係が少ない分けっこう楽しい雰囲気になる可能性はありますが、逆に会社組織などと違って意思統一、結集力などは、かなり違っていると言えます。つまり相当な手間暇がかかる場合もあります。

 また、ほとんどの場合、無報酬で参加されていると思いますので、お互いに無理は効きませんし、さらには何か頼むにも「・・・を担当して頂けないでしょうか?」とか「・・・の準備をお願いできないでしょうか?」と言う姿勢と言えます。スムースに引き受けて頂いて、その後、予定の期日通りにいかなくても、あるいは多くの方が納得される段階まで完成度になっていなくても、なかなか「再度お願いします」とは言いにくいものです。

 あと、このような一緒に無から有へを目指す期間が約1か月とか短かったら、まだいいのですが、それが数か月、半年、1年間と経てば、段々と人それぞれの個性と言いますか人間性も現れてきます。スタート時点では「・・・を造ろう」と志を同じくして数十名結集したのに一人抜け、二人去り、最後の方では半数も集まらなかったと言うこともあるかもしれません。

 そのような中で、地道にコツコツと任された役割をこなされる方は、責任感が強いというだけではなく、人間性に引かれる思いもします。私は、そのような方を見ますと、現役の方なら仕事場でも立派なことをされているだろうなあと思ったり、あるいは既にOBで年金生活されている方なら定年退職前の仕事ぶりは、さぞ内外の方から信頼厚かっただろうなあと思ったりします。

 また、逆に当初だけは大変立派なことを言われた方々でも、いつの間に会議にさえも出席されなくなった方も見てきました。 まさしく、(この聞いた言葉シリーズ第8回目にも書いていますが)やはり「人は言うことよりも、やることを見よ」との言葉を思い出す場合もありました。あと、言葉といえば大金持ちの中には、「この世の中、お金で買えないモノはない」みたいなことを平気で言われる方がおられます。はたして、その言葉通りでしょうか。

 物や商品なら、そのことも大概の場合は可能かもしれませんが、今回のテーマにしている形が最初から見えにくい事柄は、例えお金があっても人それぞれに違う考えがあっての意思統一や達成への相互努力ですから、商品買うようにはいかないと思います。

 いずれにしても、地域とか親睦会などのアイデアで無から有を造り出した時は、「やっと、出来た!」と思っても、多くの場合がそこからが新たなスタートとなり、さらに継続することへの努力がないと定着もままならないことを秘めていると思われます。このように無から有への努力は際限のない人との付き合いみたいなものとも考えられます。だからこそ、自分の生活範囲内では経験できない興味深いことや変化もあるのかもしれません。

(記:2009年9月16日)
  

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