カレーライスとライスカレーの違い
この違いが名実ともに、さらに味まで分かっておられる方は余程の”カレー通”だと思います。 まず、国語辞典の大辞泉には「<curry and riceから>肉・野菜などを煮込み、カレー粉で味を付けたものを飯に添えたり、かけたりした料理。 カレー。ライスカレー」と書いてあります。また、カレーライスは最初から皿の上のご飯にカレーをかけているもの、それに対しライスカレーは カレーが別の器に入っていて自分の好みで皿の上のご飯にかけて食べるのを言うと述べられている人もいます。結果として、一般にはどちらも厳密な差はないようです。
あと、これほど日本国民の食卓にあがる頻度や馴染みのある外来の料理はないのではとも言われています。その歴史は、日本にあまたある料理の中では、そんなに古くはなく、 明治維新頃、当時インドを植民地にしていたイギリスから伝わってきたとも言われています。元々、原産はインド(カレーの語源もタミール語のkariと言われている) ながらイギリスで改良され世界に広まったということでしょうか。
さらに日本では、工夫・改良得意の国民性からか、 独自の発展を遂げ「カレーうどん、カレー煎餅(せんべい)、カレー・ラーメン、カップ式カレー・ヌードル」など、数えたら切りがないくらい種類も味も豊富です。また、カレーの横にある漬物も一緒に食べることにより主役に負けない日本人好みの味を出してきました。まさしく原産国のインド人もびっくりされるほどではないでしょうか。このように料理のカレーだけでも、けっこう沢山語ることができます。
ただし、話は元に戻しますが、今回の「カレーライスとライスカレーの違い」に続けて使われている一般的な言葉としては、日本の政党の状況で 「自民党と民主党の違い」の同意語でもあるのです。これと似た雰囲気でアメリカでは「コカ・コーラとペプシ・コーラの違い」=「共和党と民主党の違い」と 一般的には言われています。イギリスでは、保守党と労働党の違いを表現するには、どのような言葉を用いているのか私は分かっていませんが、 あったとしても先に述べた言葉と似たようなことでしょう。
このように表現上、カレーやコーラを用いていますが、先の3カ国内にある各政党の政策の違いは大きくは変わらないと言うことで一般には使われています。 オバマ政権下の現在のアメリカでは、共和党から民主党政権に移り何か大きく変わったように思われる方もおられるようです。聞きようによっては確かに一部に変化の兆し(きざし)もあるようです。
しかし、それらを結論づけるには、まだまだ早計で前の大統領時代があまりにも最悪最低過ぎて少しの変化でも変わったように見える場合もあるのかもしれません。 歴史的には一例として、あのベトナム戦争についても 民主党も共和党も長年戦争推進の立場で、その政策の違いはなかったとも言われています。また、アメリカの大統領選挙時、二大政党制の弊害が大きく、第三局の政党を求めている国民も多いとも言われています。
日本の場合は、どうなのでしょうか。私は、これらと関連して既に聞いた言葉・第111回目、『首相辞任のキーワード=国民との矛盾』 に次の<>内のことを書いています。(長くなりますが引用します) < ・・・・戦後一貫して主に行われてきたのが、アメリカ追従奉仕の政治と大企業奉仕の政治でした。分かりやすい例として、たとえ国民の多くが反対してもアメリカの言いなりでイラク戦争に加担したり、最初から国民のためにならないのにマスコミの大応援も得て「改革、カイカク」と絶叫調にも似たことをやった結果が「格差社会」、「不安定雇用者の増大」、「ワーキングプア」、「ネットカフェ難民」、「医療制度の不安」などを始めとして、さらに「年金不安」、「過労死」、 「年間自殺者3万人」とかの言葉で象徴されている日本の状況にもつながってきています。
つまり、戦後ずっと総理大臣などの顔ぶれは変わってきたが、この間おこなわれてきた国民生活との対極にあるアメリカ追従と大企業奉仕の政治は全く変わらないどころか、より一層ヒドクなったと言うことです。それでも、これだけ長く現政権が続いたのは、主権者の意思が反映しずらい現選挙制度、企業献金、政党助成金のおかげにプラスして世論誘導操作に近いマスコミの”与党向け応援団報道”の効果もあったと思われます。
また、経済の流れでそのことの是非は別としても高度成長期、安定成長、輸出好調、(実感のともなわない)「長期の好景気」状況も、国民生活との関係では分かりづらかったとも考えれます。現政治の根本は、アメリカ追従と大企業奉仕の政治なのに、国民にはそのことが実感として、なかなか感じられなかった=騙されていることが分からなかったとも言えます。
しかし、もう国民生活そのものが追い詰められている状況の中で、「なぜ、世界第二位の経済大国なのに、こんなに働いても、なぜ苦しめられるのか」との自問自答の中から今の与党政治が国民の対極にあることを気づきかけていると思われます。 (中略) 今度こそ、ここをどう転換するか、国民も問われているし、変わることの勇気も試されているような気がします。
アメリカや大企業も、このような国民の状況は先刻承知で現与党政権がたとえ終わっても基本の政治は変えさせないために、企業献金その他をもって、次の政党や政治状況に”保険を掛けて”います。その意味から、なかなか一口で「国民のための政治」と言っても、その道程は簡単に行かないのではないでしょうか。 > (引用終り)
現在、日本国民の多くは、劇的にこれら国民を苦しめている根本原因を変えて良くしてもらいたいと思っておられるのではないでしょうか。しかし、この種の主原因をそのままにして果たして目に見えて変わるのでしょうか。また、総枠でアメリカ追従と大企業奉仕の政治が変わらない限り、その立場の人達にとっては痛くも痒くもないということではないでしょうか。
つまり、「カレーライスとライスカレーの違い」くらいの政治では、根本が変わらないし、またぞろ同じようなことが繰り返されることの懸念が今から予想されてもいます。しかし、今まで変わることのためらいも含めて国民は長年「カレーライスとライスカレーの違い」の政治さえも経験したことがないとも言えます。
ただ、このページ最初の方で、「日本では、工夫・改良得意の国民性からか、 独自の発展を遂げ ・・・(中略)・・・また、カレーの横にある漬物も一緒に食べることにより主役に負けない日本人好みの味を出してきました」とも書きました。カレーの横に白いラッキョ、赤い福神漬け、黄色の大根やきゅうりなどの緑の漬物なども用意して、より日本人好みの料理にもしてきました。つまり、脇役のようにも見える漬物が主役のカレーと同じくらい日本独自の味に仕上げたということではないでしょうか。
料理の世界では工夫・改良を一人や狭い範囲内では直ぐにできても国民全体規模で定着するには長い年月を要します。しかし、政治の世界では国民が本気で変えようと思えば短期間で実現可能というのも、ある種の面白味があります。また、ある期間、主役(与党)と脇役(野党)に見えても、その交代というのは、国民の意識の中に何かの変化が起これば、全国的な料理を変えるより容易であろうかとも考えられます。
私は、このシリーズでこれまた同じことを何回も繰り返し書いてきましたが、日本人は明日の天気を変えるほどの力はないかもしれませんが、明日の政治は変えられる力はあると思います。選挙で国民の澄んだ眼力と少しの投票行動で変えていける展望があると考えています。
また、2005年の「郵政解散選挙」時に大マスコミによっておこなわれた世論誘導型報道のようなことに惑わされないことも大変大事なことだと思われます。再びそのことを繰り返すなら、今でも苦しめられている国民をより深刻化させる元凶となり、取り返しの付かない状況に追い込まれるでしょう。
今は選挙権のない子どもや孫たちからも後年になって「2009年8月に選挙した人達は、長年の”だまし型政治”や、それを支えた世論誘導型報道にも負けず、良く自分の頭で考えて将来につながる選択をしたね。おかげで、あれから少しはマシになってきたねえ」と言われるようになればいいなあと願っています。