悪貨は良貨を駆逐する (グレシャムの法則)
今回のこの言葉はグレシャムの法則とも言われていますが、通常「悪貨は良貨を駆逐する」、「悪貨がはびこり良貨が駆逐される」と言う風に使われています。これらの言葉を国語辞典の大辞泉で調べてみると、<グレシャムの法則>で出てきます。グレシャム(Thomas Gresham、1519ころ〜1579、英国の財政家・貿易商。エドワード6世・エリザベス1世の王室財務官となり、貨幣の改鋳などを実施、王立為替取引所の設立を提唱した) 大辞泉には次の<>内のことが書いてありました。
< 一つの社会で材質の悪い貨幣と良質の貨幣とが同一の価値をもって流通している場合、 良質の貨幣は退蔵・溶解・輸出などで市場から消えて、悪い貨幣が流通するという法則。グレシャムが唱えた。 「悪貨は良貨を駆逐する」という言葉で有名。 >
この言葉をさらに解説するのは愚の骨頂みたいですが、額面上は同じ価値観で中身は金の含有率が違う2種類の金貨があったとします。そうすると人は、金の含有率の高いお金(良貨)は大事に自分の金庫などにしまって、逆に金の含有率の低いお金(悪貨)を外で使っていくので、結果として世の中には悪貨ばかりはびこってしまうと言うことだそうです。
大昔の小さな地域や島国ならたとえ悪貨になっても一気に目立つことはないでしょうから、直ぐに影響でなかったかもしれません。もしも、まだ、この種のことを現代で金貨のみで貿易をしていたと仮定したら、もうその国は信用されませんし貿易も成立しなくなるでしょう。
また、この「悪貨がはびこり良貨が駆逐される」などの言葉は、通貨だけのことではなく、人の社会でも、それも大きい所では政治の世界、近いところでは会社内や地域なども含めて広く使われる場合もあります。
特に、政治では(当然、全部の議員さんではないにしても)「なってもらいたい人よりも、なりたい人」が、たいがい声が大きく、力(財力)や知名度もあるので、結果として良識や良心は隅に追いやられ利権代表者の集まりみたいに思える場合もあります。
「あの人は誠実で私達の代表にふさわしい。できれば議員になってもらいたいなあ」と思われている方は、そのような方々とやり合うのを嫌がって最初から出られない傾向がありますし、たとえ立候補して当選されたとしても少数派みたいに思われて実際の政治面では、なかなか力を発揮できる環境にはならないことが多いと思われます。
それに本来なら、公平に取り上げなければならいはずのマスコミも圧倒的に力や知名度の高い人ばかりの偏った報道に力を注ぐので、結果としてあたかもそれが世論のごとく扱われています。その最たるものが、まるで国民全員が熱望しているがごとく(実際は国民のためではなくアメリカや大企業のための)「改革、カイカク」と絶叫調に叫んだ2005年の郵政選挙、あるいはイラク戦争への加担でした。マスコミも全部がぜんぶとは言いませんが、国民の良識ある多くの声を無視して政府・与党の大応援団と化し突っ走りました。
これらの結果は、どうなったのか火を見るよりも明らかで最初から分かった通りのことでした。これらの詳細は、既に掲載中の「真実を自分で探す時代」、「日本売り」、「資本主義の暴走、資本主義の暴力」などのページをご覧願えないでしょうか。口では「国際貢献」などと口当たりのいいこと言っても、その真実は「アメリカ従属、アメリカ奉仕」の政策であり、その政策の破綻が「日本売り」の原動力に繋がっているのは、皮肉以外の何物でもありません。
私は度々このシリーズで書いてきましたが、なぜ「格差社会」、「不安定雇用者の増大」、「ワーキングプア」、「ネットカフェ難民」、「医療制度の不安」、「年金不安」、「過労死」、 「年間自殺者3万人」とかの言葉で象徴されている日本の状況になっているのか、それは結果として、あまりにも長く国民の対極にあるような政治が続き過ぎたからだと思います。
「真面目に働けば報われる」と言うよりも「人をだましてでも儲けた方が勝ち」みたいな風潮、まさしく「悪貨がはびこり良貨が駆逐される」ような社会にしてしまった元凶は、やはり今の政治そのものから来ているような気がしますし、川の水は下流から汚れるようなことはありません。