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聞いた言葉・第175回目、『今さら計画の中止はできない』

 

今さら計画の中止はできない

 この言葉、一般にも事柄や内容の是非は別として、たまに聞きます。例えば会社の仕事上のこととか、あるいは住宅などで、お客様と建設会社との間での設計変更など様々あるかとは思います。 今回、私が書こうとしていることは、主に国・都道府県・市町村の公共事業のことが主です。あと、最初に申し上げておきますが、公共工事は、(下記の国語辞典の大辞泉参照) 「公共の利益や福祉のために行う事業」のことですから、当然多くの内容は言葉通りだと、私は思ってはいます。

・ 公共事業=国または地方公共団体が公共の利益や福祉のために行う事業。学校・図書館・公園・病院の建設、道路・港湾・上下水道の整備、河川の改修などの事業。
・ 計画=ある事を行うために、あらかじめ方法や順序などを考えること。また、その考えの内容。もくろみ。プラン。「計画を立てる」「計画を練る」「工場移転を計画する」


 しかし、そもそも需要予測が過大で当初から建設そのものに問題があったたり、あるいは立案当初は仮にそれなりの意義があっても、その後20年30年と時が経つにしたがって 当初の計画意義そのものさえも無くなって、それでもいまだに計画実行を目指すために年間予算を組んでいる事業も全国では多くあるのではないでしょうか。

 例えばダム、空港、海の埋め立て、新幹線、道路建設など、過去からも含めて沢山あるかと思います。 そのいずれもが共通して、「建設工事先にありき」の考えで誰でも疑問視するような需要予測をオーバーに見積もって、さらには建設後のまともな経営見通しや収支を度外視した経営形態、 周辺の市民からもあるいはたまには内部からも事業疑問視の意見が出ていていても継続している例も多かったです。結局は、経営破綻、売却、閉鎖などになった事例は、挙げたらキリがありません。

 しかも、民間会社の経営者ならば責任取って、さらに自らの財産(家や不動産など)の差し押さえや売却などもあります。しかし、先の事業などで天下った人は、年間給与や退職金はもらって渡り鳥しても、経営責任を果たしたなどとは、あまり聞いたことがありません。

 さらに、「手柄を立てれば自分のおかげ」、「失敗すれば他人のせい」の考え方が根底にあるのか、周囲の意見を聞かない、見えない状況が続くのか、最終最悪の状態にならなければ回避のための事前方針も立てられない状況になるようです。以上述べてきた各段階で口癖のようにして出される言葉が、今回の「今さら計画の中止はできない」です。

 ここで、日本の公共事業と規模も内容も、さらには現実社会とは、全く違う話しです。映画カプリコン1(Capricorn One)』(日本公開:1977年末、米英合作映画)で、今回の言葉と違うのですが、似たような表現が出てきて印象深く覚えています。私は、この映画を公開直後、大阪の映画館で見て、さらに35年ぶりに先日DVDで繰り返しみました。詳細は先の映画タイトルから検索して頂くと、沢山あらすじや映画感想などのホームページが出てきますので、ここでは極簡単に書きます。

 有人火星探査宇宙船「カプリコン1」の乗組員がロケット発射寸前に急に船外に降ろされます。そして、砂漠の基地で映画セットみたいな所から後で火星到着時の船外活動あるいは帰還時の宇宙船からの家族との交信などを、あたかも火星や宇宙から届いているかのように仕組みます。その前に、この計画の中心人物の博士が家族の命を人質にとって宇宙飛行士3名に芝居をすることを迫ります。

 その理由として、(発言通りではない概要のみ)「生命維持装置を納めた会社がもうけを欲張りすぎて欠陥品を納品した」、「二か月前に分かって事実を公表すれば計画中止になっていた」と説明し、さらに「16年間の努力が無駄となり、宇宙予算が大幅削減になる」、「それしか方法はないんだ」、「(この方法をすれば)宇宙計画は続けられる」、「他に方法はなかった」みたいな言い方をします。

 それに対し宇宙飛行士から、(前同)「(宇宙船発射を)中止してなぜいけない?」、「(宇宙関係)予算が削られたら祖国が滅びるのか?」などと激しく反論します。しかし、家族の命と引き換えに協力した宇宙飛行士も地球帰還の再突入時に耐熱シールドが壊れて落下(人が乗っていれば全員死亡)になったことを知ると、今度は自分たちが殺されることになるので軍の基地から逃げ出します。それから、2名が捕まり1名だけが生き残り、有名なラストシーンになっていきます。

 映画からの引用が長くなりましたが、先の過大な需要予測に基づく無駄な公共事業と、この有人火星探査宇宙船計画の博士の言葉と、どこか似ている、あるいは全く同じではないかとも私は思えます。(計画が決まった以上、その後どんな状況や環境の変化になろうとも)「今さら計画の中止はできない」、「それしか方法はないんだ」と言う考えや方式です。

  あと映画でも出ていましたが、国民を「無気力きわまりない」などと言い、分かりやす言えば自分達だけが偉くて、色々な指摘をされる国民や市民は間違っているなどとの思い上がりも同じように見えてきます。「今さら計画の中止はできない」、「それしか方法はないんだ」との考えは、その瞬間だけならば一見正しいようにも聞こえますが、長期や将来を見通せば、それは今回のような例では間違いです。

 つまり、その種の発言をされる人は、他の方法や計画の練り直しをしたくないから、あるいは利権が決まっているからでしょう。先の映画のように例え国民をだましても、宇宙飛行士や関係者が犠牲になってでも、いったん決めた計画を変えようとしない、そのものに問題があるかもしれません。確かに映画と現実生きている社会では、違いがあることは私でも分かってはいますが、日本国内でも似たような事例や発言があるなあと再認識しました。

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 真実を自分で探す時代
 全ての人をいつまでもだまし続けることは出来ない

 また、このようなことは何十年間も同じようなことが、続いているのです。しかも、公共事業と言えば、国民が納めた税金なのです。結局のところ、何故こうなってしまうのか、突き詰めて考えていけば政治の問題、そのような政党を選んでしまった選挙民の責任まで起因していくのではないでしょうか。

 国民からも「今さら計画の中止はできない」という人達を選択をするのではなく、「人がやる以上、計画は変えられる」との考えにしていかないと、国民や中小企業などには役に立たない、不要不急の公共工事が色々な名目を付けてずっと続けられ、さらには増えていくような気がします。


(記:2013年7月29日)

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