賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ
この言葉は、学生の頃から何十回となく色々な方から聞いていました。この言葉を発したのは、別名”鉄血宰相”ともいわれたプロセイン(ドイツ)のビスマルクと言われていますが、異説もあるようです。まず、今回登場する言葉の意味を国語辞典の大辞泉より引用し、下記に書いています。
賢者=1 道理に通じたかしこい人。賢人。 2 仏語。善を行い悪を離れてはいるが、まだ真理を悟るにいたらず、凡夫の段階にとどまっている者。聖者(しょうじゃ)の下の段階。
歴史=1 人間社会が経てきた変遷・発展の経過。また、その記録。「日本の歴史」「歴史上の事件」「歴史に残る」「歴史をひもとく」 2 ある事物・物事の現在まで進展・変化してきた過程。「菓子の歴史」「歴史のある店」
愚者=愚かな人。愚人。
経験=1 実際に見たり、聞いたり、行ったりすること。また、それによって得られた知識や技能など。「経験を積む」「経験が浅い」「いろいろな部署を経験する」 2 哲学で、感覚や知覚によって直接与えられるもの。
ビスマルク(Otto Eduard Leopold Frst von Bismarck)=(1815〜1898)ドイツの政治家。プロイセン首相として軍備増強を強行、普墺(ふおう)・普仏(ふふつ)両戦争を勝利に導き、1871年、ドイツ統一を達成、帝国初代宰相となる。保護関税政策をとって産業を育成し、社会主義運動を弾圧する一方で社会政策を推進。対外的にはヨーロッパ外交の主導権を握り、フランスの孤立化に努めた。1890年、皇帝ウィルヘルム2世と衝突して辞任。鉄血宰相。
この言葉を聞いた時、私自身は前者の「賢者は歴史に学び」の方ではなく、当然、後者の「愚者は経験に学ぶ」の方だなあと再認識しました。なぜなら、いつも、しなくても良い失敗をしたり、若かった時も中年世代になっても自分勝手流に物事を考えて間違った判断をしたことも多々あるからです。
そして、ミスした後になって、「あー、人の言うことを聞けば良かった」とか「違う方法もあったかもしれない」と、後悔先に立たずみたいなことばかりが、ずっと続いています。改めて、私なりに今回の言葉を考えてみると、ドイツ語や英語を読めないので日本語訳だけからしても、なかなか奥の深い意味があるのかもしれないと思いました。
私は既にガンジーの言葉=「永遠に生きるかのように学べ、明日死ぬかのように生きろ」(聞いた言葉シリーズ第75回目)を掲載中です。このリンク先ページに、ガンジーの言葉の解釈として、次の<>内のことも書いています。
<(前略) 自分勝手な解釈ながら分かりやすく書くと「人生学ぶことは山ほどあって一生勉強だ。でも人の一生は短いから毎日悔いが残らないように生活せよ」と、ガンジー先生はおっしゃったのかなあと思っています。 (後略)>
簡略すると、「学ぶことは山ほどあっても、人生は短いから・・・」は、実は、今回の賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶの言葉と相通じるような気がします。つまり、自然の長さに比べれば瞬きにもならないような人の一生、大きな失敗あるいは、そのことによる被害や費用損失などは、避けなければと誰でも思っていることかもしれません。
そのようなことからも、賢者は歴史に学びの意味は、「できるだけ事前に様々な事柄を勉強しておいて対応した方が良い」と同意語と思っています。それは私のように、いつも行き当たりばったりみたいにして「経験してから、色々と学ぶ時間は人生の短い分、そのようなことはしない方がいい」とも聞こえます。
あと、この言葉で語られている学ぶべき歴史と言う表現は、先の国語辞典書いてある意味ばかりではなく、もっと広義な例えば他人からの忠告あるいは書類関係、さらには今の時代ならインターネット(ホームページなど)も良く読んおくとかの解釈もできるのではないでしょうか。特に、星の数ほどあるホームページには、多くの知識や情報から様々な成功例や失敗例含めて、さらにはその教訓まで書いてあります。
そして、「何か探すならば、まずはネット検索」という言葉も定着してきました。このような便利な時代ならば冒頭のビスマルクの生きた時代と全く違うと思われますが、はたして、どれだけ当時と現在を対比して、人の失敗などは減ったのでしょうか。
また、「人間はミスをする動物」との言葉も死語になったのでしょうか。私自身は、賢者は歴史に学びの言葉は実践できなくても最低限、何かの前には調べてはおきたいなあという消極論でも考えていきたいとは思っています。