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聞いた言葉・第148回目、メディアの取材現場は変わらないし、役割が強くなる

メディアの取材現場は変わらないし、役割が強くなる

  今回の言葉は、似たようなことを何回か聞きましたが、概要「どんなにデジタルやインターネット技術が進んでも、メディアの取材現場は変わらないし、役割が強くなる」と言うことからです。まず、メディアを国語辞典の大辞泉で引くと(後の用語も同様)、次の<>内のことなどが書いてあります。 <メディア(media)=媒体。手段。特に、新聞・雑誌・テレビ・ラジオなどの媒体。「マスメディア」「マルチメディア」> この辞典内容でもお分かりの通り、一口にメディアと言っても、けっこう幅も広いし、その歴史も相当昔からあります。

  ここで情報伝達について大雑把な歴史関係から、おさらいをしたいと思います。辞典内容以外も触れていきますが、 何かの情報を伝えると言う活動は、大昔から様々な手段・方法があったと思われます。原始時代、家族を単位として狩猟生活などを主にしている場合は、口頭だけでも日常の連絡は充分だったと推測されます。

 しかし、古今東西、 人が集団(部族、民族など)で暮らす場合(後で国家までになる場合も含め)、情報は幅広く多くの人達へ伝達する必要性が生じてきました。特に、国家としての成立を果たすと、その防衛情報さらには大きな自然災害などは一大事でした。そんな中で大昔の人は、狼煙<のろし、(合図や警報のために、薪(たきぎ)・火薬などを用いて高くあげる煙>などを使ったとも思われます。

  また、紙などが、まだ発達していない時代は、例えば木簡(文字を書き記した木の札)などに書いて伝えた場合もありました。 その後は、紙さらには電信・電話の発明などにより、様々なメディアが登場してきました。それらに加え現在では、インターネットの発展は目覚ましいものです。このように大昔から現在までの科学技術の進展とメディアの発展は、同時進行の歴史だったとも言えます。

 それにともなって情報伝達の世界で現在「従来メディア」とか「オールドメディア」とも呼ばれているテレビや新聞の占める相対的な地位は、微減しつつあると言われています。なお、広告宣伝費全体で言えば既に新聞業界は、インターネットに追い抜かれた状況にもなっているようです。そのような状況や風潮がある中で、「今は全てがデジタルやインターネット時代だから、もうアナログ的な発想や作業は少なくなる、あるいはなくなって行く」みたいなことまで言われる方もいます。果たして、そうでしょうか? 

 私は、この「聞いた言葉・第135回目、デジタル時代に、ますます重要なアナログ作業」ページに 、デジタルカメラなどの分かりやすい一例を掲載しています。このページ内容を省略しますと、「ますます、デジタル化時代になっていくが、逆に従来通りのアナログ作業が重要だ、不可欠だ」、「また、日々の新聞、ラジオ、雑誌類の報道や記事でも、その現場・取材先に出向いて調査、収録、映像化しないと独りで機器が勝手に作れるものではない」

「その意味でも、ますます調査力・取材力のある人=アナログ作業に強い人が、求められる時代のような気がします。さらに申し上げれば、このような方々が本当に力量発揮されるような社会風潮あるいは会社なら社風にならない限り、本物の報道や映像とも言えないのではないでしょうか」と書いています。

 このことは、実は私のささやかな実体験に基づく感想から書いています。それは、地域の行事や郷土史について何回か新聞やテレビの取材を受けて、案内もしました。そして、「あー、こうやって紙面作り、番組づくりはやっておられるのか」と言うことを実感したからです。それは、同時にたとえ”見る側”が、いくらテレビや新聞からインターネットなどに変わったとしても、”提供される側”(制作される側)の取材現場は、基本的には変わらないのではないかとも思ったからでした。

 つまり、情報源(人、自然、商品、事件、事故など多面多岐にわたる事柄)に近付くのも、その対象も、ほぼ全て人によるアナログ作業だからです。今後さらに、いくら科学技術が進んだとしても例えば報道の場合、どこかに事件が起こったとして、その映像の入手、インタビューなどは、はたして人の手を介さずにデジタルの自動作業・自動送信などが可能になるでしょうか。

 「未来永劫100%ない」とまで言い切りませんが、なかなか、そこまでは難しい作業と思えるからです。結果として、今後ますます技術が進み、仮に従来の新聞・テレビがインターネットへ全面的にとって替わられたとしても、また、さらにインターネットよりも先をいく何か全く新たな別のメディアが登場したとしても、この取材・調査活動と言う”基本中の基本作業”自体は、簡単には変わらないものではないでしょうか。

 会社継続と言う経営的な側面は、一口で語れない難しさがありますが、取材できる人ならば各々で「この情報に関しては、このインターネットで提供」と言うやり方から、さらに規模を拡大し全方位的な提供方式を既にしておられるのかもしれませんし、それは可能でしょう。ただし、何回も言ってますが、そのようなやり方も、取材方法それ自体は大きくは変わっておられないはずです。

 あと、人が興味引くような題材、ニュースなどを提供されるメディア側の中に、もしも国民の側に立たず、さらには既存権益上からしか物事が見えないところがあったとしたら、いずれ”見る側”(国民)から淘汰されるのではないかと、既に多くの方が言ってもおられます。メディアが技術進展で変わっていくのは、ある面やむを得ないことですが、国民から見放されて衰退していくとしたら、それは自らの役割を放棄して招いた当然の帰結と予想されるでしょう。

私の関係ホームページ
 デジタル時代に、ますます重要なアナログ作業
 真実を自分で探す時代
 機械(ハイテク)もすばらしいが、人間も素晴らしい
 全ての人をいつまでもだまし続けることは出来ない
 空気で作られた「真実」と「正義」

 今回のメディアの取材現場は変わらないし、役割が強くなるの言葉は、結局のところ取材・調査活動など地道にコツコツとしておられるメディア現場の方々が、将来どんな時代になろうとも長い目で見れば必ず力量を発揮されると言うことでしょう。このような基本中の基本作業は、手間暇もコストもかかることかもしれません。

 しかし、この基本作業を手抜き足抜きしてしまえば”見る側”(国民)からは、かけ離れた存在になってしまって見向きもされなくなることを内包しています。でも、私みたいに言うだけなら簡単ですが、取材現場の方々のご苦労は、なかなかのことだろうなあと推測しつつも、ご奮闘を期待しています。
 

(記:2012年7月30日)
  

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