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聞いた言葉・第123回目、空気で作られた「真実」と「正義」

空気で作られた「真実」と「正義」

  この言葉は、個別には全部良く使われる文字や表現です。これから書くことは、日本の何か特定の事柄でも事件でもありません。ただし、その時代あるいは、その当時に起こった誰でもが記憶しているような事件などが背景にあることは確かです。 あと、見出しですから短く書いていますが、今回の言葉をより正確に書くと、<マスコミなどが作った、まるで空気・雰囲気のように作られた「真実」と「正義」で物事や社会全体を支配し判断してもいいのだろうか>と言うものです。

 あと、これから色々書いたとしても全てのマスコミのことを批判をしている訳では当然ありません。現場第一線で、それこそ身も心も国民と同じ立場で歯を食いしばって真実を報道しようと努力されているマスコミ人やジャーナリストがいらっしゃることは私なりに知っています。また、そのような方々の報道内容は、多くの国民に貴重な情報と判断材料を提供し、時として社会に大きな影響を与える場合もあります。このような方々は、”御用報道”とか”リーク報道”と呼ばれることとは無縁の存在です。

  今のマスコミは、もうずっと以前から「(一つの事件の)集中報道、(内容の賛否、良否、白黒などの)単純な二元論報道」などと、ずっと言われています。例えば、ある事件が起こったとします。しかし、その事件は本来ならば判決が確定するまでは無罪扱いあるいは裁判では「疑わしきは被告人の利益に」と言う言葉もあるくらいですから、それなりに慎重な態度で臨むべきことだと思われます。特に、「当事者」本人が、あらゆる場で無実や法律違反でないことを粘り強く訴えていることであればなおさらのことと思われます。

  しかし、リーク報道主体の情報過多は、時として最初は「彼はあの事件を知っている」程度でも、次々と変わっていくのがあります。それは、その次の段階では(以降同じ)「彼は事件と関係している」、「彼は事件の当事者ではないか」、「彼は事件当事者だ」、「彼は当事者なのに否定している」、「彼は逮捕された」、「彼が犯人に間違いない」、「彼は犯人なのに、それでも無実と言っている。それはおかしい」などと段々エスカレートした報道になって、しかもその段階やその時点で一気集中報道になります。

  そうなると、その情報を受ける側(広範な国民)は、一方的な「内容」しか与えられないので、結果としてそれを「信じる」しかできない雰囲気になります。もう、この時点になると少人数の方が「あの報道はおかしいのでは?」と疑問を持っても、その人の周り例えば仕事場の同僚達と、あるいは町内の人達との会話などでも、一人浮いたような意見になってしまいます。まさしく、そのことについては、ある「空気」で作られた「真実」と「正義」が支配している状態です。

  あと、上記には主に事件のことを書いていますが、政治的な事柄も、この種のことは同様に扱われやすいものです。分かりやすい例として私は『真実を自分で探す時代(聞いた言葉シリーズ第68回目)』ページに、2003年からのイラク戦争とマスコミの報道姿勢について書いています。(詳細は、ここからご覧頂けないでしょうか)

 重複して申し訳ありませんが、極簡単に書けばアメリカが「イラクには大量破壊兵器があるから、テロ防止のために攻撃する」、それに対し「日本政府も同じ立場で支援している」、「だから、この戦争は止むを得ないことだ」と、当時のマスコミはまるで一緒に合わせたかのように報道しました。

 私は、万が一でも世界や日本の国民の多くが平和を望まず、戦争解決を唯一の手段だと思っていたなら話は別です。しかし、実際は全く逆で平和への運動は大きいものでした。そのため、ヨーロッパの国ではイラク戦争に加担しない国もありました。このように当時の報道姿勢は、まるで「国民が平和解決を望むのが間違っていて、アメリカの戦争が正しいのだ」と言うような世論誘導報道に近いものでした。

 まさしく、アメリカやそれを支持した日本政府、さらにマスコミの「イラク戦争は止むを得ない」との立場は、ある空気による作られた「正義」でしかなかったのではないでしょうか。 イラク戦争のその後の結果や現状はどうなっているのか、テロとは全く無関係の、一番弱い立場の子どもたちや市民が、おびただしい数で犠牲になっているのです。しかも、テロはその後も拡大再生産されています。一方、戦争特需で大儲けしている人達もいると言うことのようです。

 あと、 この戦争の大義名分だったイラクの大量兵器について、アメリカ自身が議会証言や報告書で「大量破壊兵器はなかった」と、その後述べました。 これらに対しても、いまだに日本はまるで他人事で、マスコミも同じような立場のような言い方です。戦争前も、その後の全ての経過も物語っているように、あの戦争開始に大義名分があったのでしょうか。

 本来ならたとえ遅くなっても、これまでの検証の必要性はないのでしょうか。また、いつもニュース番組や新聞報道でもよく見聞きする「説明責任」は、どこにいったのでしょうか。この「説明責任を果たせ」について、マスコミは他人に対してはいくら言っても、自らは言わなくてもいい言葉でしょうか。国民との矛盾は、感じないのでしょうか。私は、聞いた言葉シリーズ・第83回目『全ての人をいつまでもだまし続けることは出来ない』 にリンカーンの言葉を紹介しています。

私の関係ホームページ
 真実を自分で探す時代
 全ての人をいつまでもだまし続けることは出来ない
 首相辞任のキーワード=国民との矛盾
 演説の希望と失
 経済=経国済民
 カレーライスとライスカレーの違い
 日本売り

 悪貨は良貨を駆逐する(グレシャムの法則)

 この言葉と同様、空気で作られた「真実」と「正義」は、長続きしないことだと言えます。また、国民は、いつまでも国民の立場に立たない報道を黙認するのでしょうか。私のような全くの素人で社会の片隅で生きている市井の者でも、”リーク報道”、”世論誘導調査結果報道”、”御用報道”という言葉や、その手段・方法までも知ってしまいました。

 また、平和や重要問題でも世界や日本の多くの国民の立場ではなく、何はさておいてもアメリカ、政府、大企業の意向に沿った報道しか繰り返さない立場なら必ずや歴史は、その方々の思う通りにならないことを示すでしょう。戦前、日本が負けていても「勝った勝った、敵戦艦轟沈・大破多数」などと大本営発表報道を繰り返していた当時の報道と現在のマスコミ報道と「違うのだ」と言い切るなら、真に国民の立場で内容を変えるべきではないでしょうか。

  ある「空気」で作られた「真実」と「正義」ではなく、本来の役割である国民の立場で真実報道をして頂きたいと思っているのは私だけでなく多くの方々が望んでおられることだと思います。

(記:2010年3月17日)
  

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