還暦(かんれき)
私も今月の誕生日で満60歳(プロフィール参照)を迎えました。何はともあれ生きていくだけでも精一杯の私でも、何とかここまで来れましたのも知人、友人、親戚はじめ多くの皆様のお陰だと心から思っています。それに、もう既に両親とも亡くなりましたが親兄弟、家族の支えも大きかったとも言えます。
今年初めに幼稚園・小学校時代からの同級生で、還暦のお祓いや同窓会もしましたが、中には病気などで数名この日を迎えることが出来なかった人もいました。改めて、どうにかこうにかではありますが、いつも元気に動き回れる健康のありがたさも再認識しました。お世話になった多くの方々へ、感謝の念が一杯です。
ここで国語辞典の大辞泉を参照しますと還暦について、次の「」内通り書いてあります。「還暦(かんれき)=<60年で再び生まれた年の干支(えと)にかえるところから>数え年61歳のこと。また、その祝い。華甲。本卦還(ほんけがえ)り」
このように生まれた干支に戻ることから地域によっては、再び赤ちゃんになったと言う意味からか、古くから赤い頭巾(ずきん)や、赤いちゃんちゃんこを着て家族などでお祝いの会もあるようです。また、上記の辞典通り本来の還暦は「数え年61歳」なのですが、現在では満年齢の60歳も定着化しつつあるようです。このページでは「数え年」か「満年齢」かは、同じように取り扱っていきますので、あらかじめご了承願います。
あと、赤ちゃんとは先の辞典には「赤ん坊の親しい呼び方」みたいに書いてあります。さらに何故、赤ちゃんの呼び名の”赤い色”には何か縁があるかと言いますと、これまで様々な方から色々な語源みたいなことを教えて頂きました。そのものズバリ、「生まれたての赤ん坊は、赤い色に近いからではないか」、「夜明け前、薄暗い地平線から昇る(生まれたての)太陽の色は、真っ赤な色そのものだからだ」とか言う方もいました。
ここで脱線気味ですが、古来中国では「銅は「赤金(あかがね)」とも呼ばれ、金・銀と同じく貴重なものだった」(聞いた言葉シリーズ第107回目「銅は金と同じ、銀は金より良い」ページ参照)とも聞いていますので、この色は価値観もあったのかもしれません。いずれにしましても、この還暦とも縁がある、赤ちゃんの赤色は縁起の良い色のようです。さらに言えば何か還暦及び還暦に関係すること全体が、東洋的なイメージもしてきます。
日本の大昔、「人生50年」とも言われ、その当時、還暦まで迎えた方は長生きだったのでしょう。だからこそ還暦祝いみたいなものも、けっこうあったのかもしれません。現在では、平均寿命が延びて60歳、70歳は当たり前、100歳でも各地域で珍しくなくなってきました。既に、聞いた言葉シリーズ第98回目「還暦、古希、喜寿、傘寿、米寿、卒寿、白寿」ページにも書いていますが、本来なら日本では古来から長寿はお祝いでした。
しかし、現在は、政府の制度・政策などの影響もあって全体の風潮は、そうなっているのでしょうか。「年金問題」、「後期高齢者医療制度」、その他、私の周りでも怒りにも似た批判の声もあります。3年前の政権交代前、民主党は後期高齢者医療制度について、「すぐ廃止する」という選挙公約でしたが、これは先送りの上、さらに改悪の方向です。また、消費税は、年金生活者にも重くのしかかるものです。
その消費税についても、「4年間は上げない」と言って当選して政権を取りながら、正反対に「政治生命をかけて増税する」と言う形で今国会は進みました。これらは、「必ず、やります」と言うことはやらないで、「絶対やらない」と公約したことは確実にやると言うとんでもない政治です。もしも、この世に”常識ある世界”があるならば恥ずべき政策です。政治生命をかけるところが、根本的に間違っていると思われます。
あと、歳だけでは金持ちでも、私のような貧乏人でも誰でも平等に重ねていきます。万が一でも「自分は関係がない」と思われている若い世代がいらっしゃるならば、今思えば自分自身がそうであったように光陰矢のごとく、還暦まで来てしまいます。60歳定年の会社ならば一応その年齢まで働き、さらにそれ以降も出来れば、なんとか働き続けたいと思う方も大勢いらっしゃるかと思います。
何も政府などから「自助努力を」みたいなことを、いちいち言われなくても分かっている方も多いことでしょう。日本古来からあった「還暦、古希、喜寿、傘寿、米寿、卒寿、白寿」のお祝いの本意は、その年代だけではなく、次の年代にもにつながると言う意味もあるのではないでしょうか。