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聞いた言葉・第199回目、地頭がいい(地頭が良い)

 

地頭がいい(地頭が良い)

  今回の言葉=地頭(じあたま)がいい(地頭が良い)は、昔から聞いたものですが、近年また、テレビ、ラジオや雑誌などで良く見聞きするようになりました。意味は、下記国語辞典の大辞泉の通りですので、まずはご参照願います。

 地頭(じあたま)=1 大学などでの教育で与えられたのでない、その人本来の頭のよさ。一般に知識の多寡でなく、論理的思考力やコミュニケーション能力などをいう。「地頭がいい」、「地頭を鍛える」(大辞泉より)

 このように分かりやすい国語辞典に、さらに補足などを書くのは、それこそ地頭も良くなければ、学校の成績も悪かった者のすることだと自覚しているものの、私なりに思ったことを書いていきます。

 最初からまとめ的に言いますと、地頭がいい(地頭が良い)は「学校の成績は良くなかったが、社会生活上での状況把握能力、発想力、調整力、それらに基づく発言や行動力などが良い」との解釈ではないでしょうか。そして、学校で習っていなくても、様々な潜在能力の備わった人たちのことを言っておられるような気がします。

 人は現代の生活を営むようになっての期間は、何十万年かの人類の歴史からすれば瞬きにもなりません。圧倒的に長いのは、まだ文明とか農業さえもないような原始時代です。そして、そのような時代に生きる上で最重要なことは、食料の確保でした。穀物類などの収穫(農業)は、後のあとの時代の話で、まずは自然にある動植物を得ることでした。

 また、この時代には当然学校などはなく、せいぜい親兄弟や年配者から経験を学ぶことだったでしょう。例えば、猪(いのしし)や野鳥を捕える方法、食べられる野草の見分け方など、便利な百科事典などがある訳でなく、誰かからの教え、自らの経験や勘が全てだったのではないでしょうか。

 しかし、いくら習った事柄でも、動物などを追い回す時などは、その時の状況把握、とっさの判断が求められます。また、食べられないキノコ類も当時からあったでしょうから見極める力も必須条件だったでしょう。そして、そのようなことに優れた人が、当時も指導的立場や家父長的な役割だったとも推測されます。

 現代でも学校で習ったことが全てにおいて優先するとか、通用するとかは一部を除き、ほとんどないでしょう。また、技術職や職人さんの仕事などを除き、経験が全てというのも全体の職種数からすれば少ないと思われます。さらに、マニュアル通りとか、言われ通りの範囲内で全ての仕事が収まるかと言いますと、これまた実社会では少ないものです。

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 結局のところ、それらは様々に変化する状況把握力、時宣を得たアイデア・発想力や相手先の動きに機敏に対応できる能力が、勝敗を分けるのではないでしょうか。そして、そのような対応力のある方に対して周囲では、「あの人は頭の回転が速い」とか、「あの人は頭がキレる」と称賛されているでしょう。私の社会生活の経験上から、その方々は、年齢も学歴も、さらに言えば男女間も仕事の役職(肩書)も関係なく、いらっしゃったように思えます。

  私が思うに仕事や社会生活において、学歴・役職(肩書)・前歴前提第一主義みたいなことも全面否定まではしませんが、今回の言葉=地頭がいい(地頭が良い)方々が、もっともっと全ての分野で多く登用され、活躍されれば、さらに仕事(会社)でも一般社会でも国全体でも良くなるだろうなあと思っています。


(記:2015年8月17日)

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