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聞いた言葉・第198回目、捨てる神あれば拾う神あり

 

捨てる神あれば拾う神あり

  今回の言葉の意味は、『ことわざ・名言辞典』(第1版第3刷、1978年4月10日、創元社発行)76ページから引用しますと、次の<>内通りに書いてあります。関連して、その次の国語辞典(大辞林)も、ご参照願います。

 < 捨てる神あれば拾う神あり=世の中の人の心はさまざまで、見捨てる人があるかと思うと、それをまた助けあげる人もある、という意。「捨てる神あれば助ける神あり」「捨てる神あれば引きあげる神あり」ともいう。

 =宗教・習俗において,信仰・崇拝・儀礼・神話・教義などの中心となる位格・存在。日本の神道や民俗の祭りでまつられる対象,またはユダヤ教・キリスト教・イスラム教などの超越的絶対者。仏教では,仏や菩薩の権現・守護者などとされ,仏とは区別される。 「 神に祈る」 「 神のお告げ」(大辞林より)

  今回、「神」(神様)とかの言葉が用いられているので、かなり現実社会とは、かけ離れたイメージもするかもしれません。また、一般論としては、上記<>内通りでしょうが、人によっては事の大小、様々な場面の違いなどから考えれば、現実的には、それこそ人の数だけ様々な事柄で用いられる場合もあります。

 例えば、失業中に何十回と求職活動をしたにも関わらず仕事に就けず、友人や知人に頼んだところ、その方の知り合いの社長が採用して下さったとかもあるでしょう。また、見知らぬ旅先で、財布や重要書類を無くし、たまたま良い人が拾って下さって結果、後で自分の手元に戻ってきたとかもあるかもしれません。

 あと、「拾う神」と出会って、何か困難さが解決した場合、その喜びの表現として、次の「」内の言葉もあります。 「地獄で仏に会ったよう=苦境に立ったとき思わぬ助けにあったうれしさのたとえ。地獄に仏。地獄で仏。」(大辞林より)

 これらは、いずれも自分の(守備)範囲や努力だけでは、どうしようもない場合に用いられる言葉とも思えます。つまり、自分の能力・努力は最低限、前提にしつつも、その力だけでは解決しえない場合、「時の運」、「人の運」の手助けによって達成できたときなどに多く用いられているようです。

 あと、芸術、技術、専門分野さらには特別な能力を持っておられる人でも、例えば日本国内では全然評価されなかったが、国際コンクールで優勝とか外国のマスコミで取り上げられ、一気に有名になられた場合もあります。それは、当初、国内では見向きもされなかったが、実力主義の外国では評価され、逆に後で国内でも再評価されたということでしょう。

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 このようなことは、何も国内・海外という大きな事柄だけでなく、県市町村単位でも、あるいは分野別でも見方の物差し違いから評価が違って、結果、見直される場合もあります。そのようなことは何故起こるのかといいますと、一言でいえば(評価する側が)「見る目がない」ということでしょう。価値観や評価点は、何か決まった物差しがある訳でないからです。

 そして、さらに言えば従来からある評価や価値観から一歩踏み出した新たな着眼点や発想が、「評価する側」にないとすれば、それは”前歴前提第一主義”の目から変わらないことから起因しているのでしょう。空想や宗教の世界では別としても、現実社会上で今回の言葉=捨てる神あれば拾う神ありは、先に述べた「評価する側」または仕事の場合などでは、「拾う神」側も、それそう相当な見識や度量がないと、「捨てられた人」を拾うことは出来ないともいえます。


(記:2015年8月10日)

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