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聞いた言葉・第186回目、『聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥 』

 

聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥

 今回の言葉は、まさしく私のためにあるようなものですが、改めて国語辞典・大辞泉をひきますと、同趣旨の言葉で次の「 」内のことが書いてあります。「聞くは一時の恥聞かぬは末代の恥= 知らないことを聞くのは、その場では恥ずかしい思いをするが、聞かないで知らないまま過ごすと、一生恥ずかしい思いをしなければならないということ。問うは一旦の恥、問わぬは末代の恥。」「問(と)うは一旦(いったん)の恥(はじ)問わぬは末代(まつだい)の恥(問うは一旦の恥問わぬは末代の恥)」

 私も還暦を越え、既に60歳半ばに近づきつつあります。はるか50年前位の子どもの頃は、学校の先生や周囲の大人たちに何でも分からないことは聞いていたのかもしれません。しかし、社会人になって20歳、30歳代となると段々と、いくら厚かましい私も「こんなことも知らないのか」と思われるのではないかと、気が引けてきたと思います。

 さらに、それが40歳や中年世代に本格的に入っていくと、「こんなことは、今さら聞けない」、「若い人に聞くのは恥ずかしい」、「本来なら教える立場なのに逆だ」など思うことも度々ありました。そのたびに、今回の「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」は、私にとって励ましの、導きの言葉でもあります。(当然、現在進行形です)

 あと、私と同じような世代は、アナログからデジタル技術の日進月歩(「日ごと月ごとに,たえず進歩すること」、大辞林より)同時進行年代とも思えました。例えば、家庭内や身の回りにあるパソコン、インターネット、デジタルカメラ、携帯電話、スマートフォン、タブレット端末、時計、テレビやオーディオ関係の操作、さらには外部での各種手続き・購入なども含めて、アナログ式からデジタル式へ何もかも変わっていったような経過も経験しました。

 しかも、アナログ時代まで何か分からない点があれば、例えば、その機器に付いている取扱説明書などを読めば、なんとはなしに解決できたものでした。しかし、今のデジタル機器の説明書は、平易に書いてあるのかもしれませんが、それでも暗号か外国語で書いてあるのではと思えるくらい難解なものもあります。また、機器によっては最初から取扱説明書自体も箱に入っていないのもありますが。

 何でも簡単に操作している若い方を見ると、うらやましく思いつつも「やれるだけは自分でやってみよう」との意識も、一層この年代は働くものです。そこで大いに助けになるのが、数十年前から登場したインターネット(ホームページ、eメールなど)です。「探すならば、まずはネットで」という言葉も定着していると思いますが、デジタル機器操作関係も、沢山の類似例や対処策例が掲載してあります。

 中には何かの故障などの対応策例が沢山あり過ぎて、逆に迷うほどです。いずれにしても、自分の手元近くで分からないことが探せる(聞ける)のですから、もしかしたら少しは人へ聞くことが減ったのかもしれません。

 話しは、ここで脱線しますが、私はデジタル機器全般の機能について書きます。自分が操作出来ないことを棚に上げて言うのもなんですが、(例えばリモコン操作ボタンなど対して)「こんなものに、なんで、あれもこれも付けているのや。日常使うのは三つくらいやろう」と、ボヤクこともあります。日本製品に多いような気がしますが、毎回繰り返されるモデルチェンジで、あれだけ多機能化、高機能化しないといけないのでしょうか? むしろ、「操作はシンプルイズベスト」が、かえって使い勝手の良さからくる商品販売につながるような気もするのですが。

私の関係ホームページ
 時は金なり(Time is money.)
 昨日今日とは思はざりしを
 永遠に生きるかのように学べ、明日死ぬかのように生きろ
 桃栗三年柿八年
 還暦
 三つ子の魂百まで

 いずれにしても、このページ中ごろに書いていますので重複しますが、今回の「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」は、私にとって励ましの、導きの言葉でもあります。日常様々なことをしていますと、次から次へと、疑問が湧き出てもきます。特に、地域での諸活動などでは、自分の無知で結果として、他の方へ迷惑かけることもあります。それは、「自分の恥だけ」で済まない場合もあるかもしれません。

 私は、分からないことがあれば、今後も第一次的にはインターネットなどで自分で調べてみて、それでも解決できなければ厚かましくも知恵者に聞いてみようと考えています。それは、「一時の恥」だけのことではなく、「解決の喜び」もあるのだと自分に言い聞かせていきたいとも思っています。


(記:2015年4月21日)

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