桃(もも)栗(くり)三年柿(かき)八年
私の実家は農家でしたから今回の言葉について、学生の頃に両親からも周囲の方々からも良く聞きました。まず、国語辞典の大辞泉には、次の<>内ことが書いてあります。<桃栗三年柿八年= 桃と栗とは、芽生えのときから3年、柿は8年たてば実を結ぶということ>
私が聞いた意味は、先の辞典の意味だけでなく、当時の大人から何かを諭(さと)すように「桃栗3年柿8年と言うように長い年月かかかって成長し、実を付ける。 このように何事も簡単に直ぐ出来るものではない。我慢してあきらめずに頑張れよ」みたいな使い方だったろうと思います。また、この言葉の後に、各地方で様々な言い方があることを、もう20年も前でしょうか、ある航空会社の機内誌で見ました。
一例として、次の「」内の文言もありました。 「桃栗三年柿八年、柚子(ゆず)の大馬鹿十八年」 実は、先日この言葉を思い出し、インターネット検索で色々と調べたところ、ちゃんと先の言葉がありました。そして、高知県の司牡丹酒造株式会社のホームページに「柚子の大バカ十八年」との名称で柚子リキュールがあることも知りました。(この酒と柚子の生産などについて、先のリンク先ページに写真付きで掲載されていますので、ご参照願います)
時代的には現在だけでは当然ありませんが、主食の米を始め野菜、フルーツさらには加工食品含めて植物から出来た農産物は、国内のどの地域でも大抵スーパーや野菜市場に陳列されていると推測しています。そのような状況、さらには作物を育てている光景を見ることのない人達にとって、極端に言えば「どんな農産物でも、スーパーで直ぐにお金出せば買える」との見方も否定は出来ないと思われます。
しかし、桃栗三年柿八年ほどの長期間ではなくても、どんな農作物でも自然相手となると簡単にはいかないのも事実です。雨不足、日照不足、冷夏などの天候不順もありますし、台風や集中豪雨が襲ってくる場合もあるでしょう。いったん被害にあえばパソコンのように削除・再起動みたいに簡単にやり直しは、どの作物もいきません。
農業分野については、高齢化や後継者不足などがいわれて相当期間経ちました。さらに、「農産物も何でも外国から輸入すれば良いではないか」みたいな風潮が一部にあるようです。はたして、このような状況をそのまま放置していて、国全体としていいのでしょうか。海外からの食料品について、以前より(通称)「毒餃子」事件も起こりました。また、有害物質や高濃度の農薬使用の農産物も、その時々で問題視されています。この種の問題は、完全に解決されたのでしょうか。
人の口、体内に直接入る農産物や食料品ですから、誰でも気にかかることです。あと、アフリカなどで部族間衝突や暴動の根底には、食料確保の問題があるとも言われています。しかも、その要因の一つとして、水不足や干ばつの影響もあるようです。日本は、梅雨もあれば台風も来る所ですから、急に水不足などは起こりにくいかもしれませんが、昔の記録には水飢饉、冷夏、火山噴火、地震や津波などにより、餓死者も出ていました。
もう10数年前でしたでしょうか、国内で米の大凶作が起こりました。この時、日本はアジアの諸外国などに頼んで米の緊急輸入をしました。この時は何とかなりましたが、いつもこのような対応が可能でしょうか。諸外国も同時に飢饉になった場合、日本へ割り当ててくれるのでしょうか。基本から言えば”自国民優先”は、どこの国でも同じでしょう。
このように米だけでなく食料は、不足すれば直ぐに外国から全て調達できるというものではないと思われます。だからこそ、先進資本主義国とか工業国とか呼ばれているサミット参加国でも穀物自給率の向上や農業分野には力を入れているようです。(穀物自給率などついての詳細は、私の「聞いた言葉シリーズ」第30回目『瑞穂の国 』参照願います)
先のリンク先ページにも書いていますが、日本の農業再生や自給率の向上は、そう簡単にいかないでしょう。ただ、イギリスの穀物自給率向上実績例でも分かる通り、政治がその気になれば可能性は確実にあるのです。(なぜイギリスの穀物自給率が向上したかの理由で、一例として農林水産省の「こどもそうだん」ページを参照願います)
そのような農業を始め多くの分野で破壊的な影響があるTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)などは、逆行政策そのものです。日本は原始時代から、どの国にも頼ることなく食料だけは、先人の様々な苦労もあっても供給できたのでした。それに比べ戦後からの期間によって自給率は先進国で最低レベルになり、さらにTPPなどにより農業を悪化させていいものでしょうか。
今回の言葉=桃栗三年柿八年通り、様々な困難さがあり、かなりの年数がかかったとしても粘り強く、農業再生や自給率の向上にむけて努力する時期ではないでしょうか。私は、この言葉を書いてみて、改めて「先人達は桃栗のように我慢強く、粘り強く作物を育てられたのだなあ」、「この覚悟と思いがあれば新たな展望は生まれるのではないか」とも思いました。