知恵の光を見るには、まず自分を空にするのだ
今回の言葉は、映画2012に登場するチベット、ラマ僧が若い弟子に話した内容からです。 映画2012は、2009年制作のアメリカ映画で、 日本での公開は 2009年11月21日でした。まず先に、私の『聞いた言葉シリーズ』は、映画紹介ページではありませんので、この映画の詳細を知りたい方は、例えば次の<>内リンク先からご覧頂くように、お願い致します。<映画『2012』公式サイト 、 Yahoo!映画作品情報の2012 映画> ただ、詳細は書きませんが、何故今回のこの言葉が話されたのかと言う背景説明は、必要ですので後で簡単に書きます。
私は、この映画もDVDも見ましたが、あくまでも「映画はその時に楽しめればそれで良い」と言う至極単純な考えの持ち主ですから、ここで描かれている地球終末が、どうの、こうのと言うようなことには関心がありません。私は、むしろ地球の寿命それ自体については、聞いた言葉シリーズ第130回目、「科学が後追いして地球の寿命を考える 」に詳細書いています。
この映画2012は、中央アメリカのグアテマラからユカタン半島にかけての地域に、古代から栄えたマヤの暦に2012年12月21日に地球危機、世界終末を迎えると言う題材で作られたものです。そして、全大陸で発生した巨大な地割れ・地震・噴火・津波などにより地球規模の危機に直面して、あらゆる人々が逃げまどう、様々な人間模様を描いたものです。
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(映画)2012 スタンダード版DVDより
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そして、そんな地球危機のシーンですから、ほぼ全編良い表現をすれば動きや展開のある内容の連続、逆に悪い表現をすればずっと騒動しいシーンの連続でした。しかし、数か所だけ実に風景の美しい、静寂で印象深い画面が出てきます。それはチベットの高い山の頂きにある僧院・鐘つき堂の下でラマ僧が若い弟子に語る場面や、ここにも巨大な津波が押し寄せ、その後ラマ僧が鐘をつくシーンです。(極一部で似たチベットのシーンが右画像なので参照願う)
前段で若い僧が迫りくる世界終末の噂、人や生き物を地球危機時に逃がすために巨大な船(現代版”ノアの箱舟”)を建造している兄さんから聞いた情報などにより不安・動揺しているため、「師よ、世界が滅びるとしたら、どうしますか?」などの問いをします。すると、ラマ僧は直ぐに返事をせず若い僧の茶碗にあふれ続けるまでお茶を注いで、その後話す場面があります。
このラマ僧の言葉は、日本語訳で「お前は頭の中が噂や憶測で溢れているようだ」、「知恵の光を見るには、まず自分を空にするのだ」と静かに返事します。英語では「Like this Cup...you are full of opinion and speculations. Too See the light of wisdom you first must empty your Cup.」(直接和訳では「このコップ(茶碗)のように、あなたは意見や憶測で溢れている。知恵の光を見るには、あなたはまず第一番に、あなたのカップを空にすべきだ」と思う)
この言葉は、知恵の光を見るにはという部分を、単に「知恵を得る」でいいのか、または光が付いているので、別にどう解釈するのか様々あるのかもしれません。私は、簡単に考えて前者でも意味は通じるので、「知恵を得る」でいいと思いました。つまり、このラマ僧は、若い僧に向かって「(情報過多で)色々な噂や憶測が沢山あるようだが、この際それらの情報を一回空っぽ(白紙)にして、再度一から自分で確かめてみなさい」と教えているように思えました。
そして、やおら若い僧の家族を探し脱出するため、自分のトラックのキーを微笑みながら渡して上げます。そして、その後しばらくしてから、このラマ僧は、チベット高地まで迫って来た巨大津波にも動じず全てを悟り切り、自然をあるがままに受け入れるように、また地球終末を静かに祈るように鐘を数回ついて波に飲み込まれていきます。
このチベットのシーン(極一部ながら右上側画像に似た場面があった)は、最初からCGとか特殊撮影効果とは分かっていても、この映画全体を通して、世界の自然を一番美しく静寂に描いているように私は思えました。そして、この風景(背景)の中でラマ僧に語らせた本意は何だったかと言う点です。それは、映画のストリー上の受け止め方も当然できると思われます。
しかし、それより私は、深読み推測して「通信やメディアの発達により現在は、日常普段でも情報過多で何が正しいのか良く分からない。中には嘘や誤魔化し情報もあるかもしれない」、そのような状況下「ある情報を簡単に信じ込むのではなく自分自身で探して確かめよ」と言われているような気もします。さらには、この映画2012の題材そのもの、つまり「マヤの暦が地球終末論に繋がっていること自体も、本当に正しいのか、どうなのか、確かめてみなさい」とも言っておられるのではないでしょうか。
あと、別角度で考えれば、この発言主旨が、もしも映画の核心部分の一つとするなら、なぜラマ僧に語らせたのだろうかとも考えました。この映画2012には、世界各国の大統領・首相始め大金持ちあるいはキリスト教など他宗教の要人も多数登場します。世界の人々の指導者としては、何ら肩書き上は誰が発言しても良かったのかもしれませんし、もっと違ったシーンで別の表現ができたのかもしれません。
しかし、私が思うに世界規模からすれば小さな地域で、しかも日常の話題にも登らない一人のラマ僧に語らせたところに、逆に何か意図があるような気がしました。つまり、世界中に著名で日常ニュースになっている国家指導者、大金持ちや他宗教者などの考えの枠内では、現在の諸問題が噴出し過ぎて解決できず、東洋の、このラマ僧の言葉がむしろ新鮮で説得力があるように描いたのではないだろうかと言うのが、私の推測です。
この言葉の真意は、映画の制作者、監督、脚本家などに聞いてみないと分かりません。ただ、繰り返しになりますが、知恵の光を見るには、まず自分を空にするのだの言葉は、映画の世界だけでなく日常不断に多くの情報に接している私たちにも問いかけているような気がしました。あと、今回のこの言葉以外にも映画2012には、注目すべき言葉が沢山ありますので、また機会あれば書きたいと思います。特に、このようなことに直面すれば「人は、従来の価値観よりも全てにおいて家族や友人などを最も優先的に考えて行動するものだ」と繰り返して訴えているようで印象深かったです。