吾唯足知(われ ただ たるをことを しる)<唯吾知足>
今回の言葉は、京都、龍安寺(りゅうあんじ)にある蹲踞(つくばい)(手水鉢=ちょうずばち)の文字からです。ただし、この文字順番が正しいのか、どうかは疑問がありますので、後で詳細に書きます。特に、「足知」文字順は逆で、熟語上からも意味上からも、知足が正しいことは先に述べておきます。次に、右下側の画像をご覧願います。言語や本来の意味上の文字配列の真偽は、この場合脇に置いてアナログ時計の12時位置から時計回りに仮に読めば「吾唯足知」と読みます。ここで一旦、この文字順番や解釈記述は、中断して先に龍安寺について書きます。
国語辞典の大辞泉には、龍安寺について次の<>内のことが書いてあります。<龍安寺=京都市右京区にある臨済宗妙心寺派の寺。山号は、大雲山。藤原実能の別荘近くにあった徳大寺の地に細川勝元が寺を建て、宝徳2年(1450)義天玄承を招き、その師日峰宗舜を開山としたのが始まり。応仁の乱で焼失、徳芳禅傑が再興。現在の方丈は塔頭(たっちゅう)西源院の建物を移築したもの。方丈庭園は相阿弥作と伝えられ、石と砂だけで構成された枯れ山水で虎の子渡しの庭とよばれて有名。平成6年(1994)「古都京都の文化財」の一つとして世界遺産(文化遺産)に登録された。りゅうあんじ。 >
|
絵は大村市内、坂中さんより提供
|
本題の文字の件に戻ります。この文字の説明で、龍安寺ホームページの蹲踞(つくばい)紹介文には、次の<>内のことが書いてあります。<中央の水穴を「口」の字に見立て、周りの四文字と共用し「吾唯足知」(ワレタダタルコトヲシル)と読む。 これは、釈迦が説いた「知足のものは、貧しといえども富めり、不知足のものは、富めりといえども貧し」という「知足」(ちそく)の心を 図案化した仏教の真髄であり、また茶道の精神にも通じる。また、徳川光光圀の寄進とされる。 >
上記の紹介文や右側の絵の通り、蹲踞(手水鉢)の真ん中の穴を漢字の「口」に見立てあります。そして、「吾唯足知」の4文字とも漢字の偏(へん)や旁(つくり)、さらには上部や下部に「口」があるので、真ん中の「口」を共用して、この4文字は作られています。ただ、この4文字の原語(中国語)は、上記の漢字並べ順で読むのではなく冒頭に述べた通り疑問があります。
いくつかのホームページを検索すると、この「吾唯」は、実は逆で「唯吾」と読み、同じく「足知」は知足と読むのではないかと書いてありました。私は中国語(漢文)も読めないので、断定的に言えないのですが、そのようなホームページを参考にすれば、「唯吾知足」が中国語の原語読み、「吾唯足知」が日本語の解釈読みのような気がします。念のため、今回このページでは、龍安寺ホームページの解説文に沿って書いています。ただし、念のため知足の文字の並びは、後で説明しますが日本語の熟語としても、この文字順番でないと意味までもおかしくなると思います。
その知足の意味ですが、国語辞典の大辞泉に次の<>内の通り書いてあります。<知足=(「老子」33章の「足るを知る者は富む」から)みずからの分(ぶん)をわきまえて、それ以上のものを求めないこと。分相応のところで満足すること。 >
つまり、上記国語辞典の通り、この知足の意味から、何かの式典での挨拶や雑誌の文章などで「知足の精神」とか、「知足の心を持って」などと一般には使われているのです。もしも、この2文字の並びが逆なら「知足の心」とか使えないし、意味も大きく変わってしまうと言うことです。あと、文字の読みや順番は、このくらいにして日本語解釈読みと思われる<「吾唯足知」(ワレタダタルコトヲシル)>ですが、これは先の龍安寺ホームページや国語辞典の知足の意味の解説通りです。私がさらに文字解釈を付けたすことは具の骨頂だと思っていますので、この言葉の感想程度のことを後で書きたいと思っています。
今回の言葉の語源で、龍安寺ホームページでは釈迦の解いた言葉ですし、知足なら先の国語辞典を参照すると、中国の老子が執筆した「老子」からです。この方々が生きた時代を非常に大雑把に推測すれば、お二人とも紀元前です。そのような状況下、この、「唯吾知足」は、誰に向かって述べられたのか、なぜ中国では幾種類かの古銭デザインまでなって活用されたのか、なかなか興味深いことでもあります。
紀元前の大昔でも、上は王様・豪族・部族長などから、下は一般大衆まで人間の持つ色々な欲望には限りがなくて、それらを諌める意味だったと思われます。そして、それは現代に至るまで色々な肩書きがある・ない、さらには大金持ちや庶民でも、どこか大昔と似た状況があるのではないでしょうか。
分かりやすい事柄で、例えば住む家のことで夜露をしのげる程度の小さな家でも家族が仲良く暮らせれば幸せかもしれません。逆に何百何十部屋あるか分からない、まるでどこかの国の宮殿みたいな豪勢な建物に住んだとしても、もしも夫婦は離婚、家族がバラバラだったとしたら果たして日々心穏やかで幸福な生活になるのでしょうか。
また、三度の食事とも一食で庶民の何倍と言う費用をかけて食べる金持ちが、たまたま自分が生まれ育った懐かしい数百円かの安い郷土料理を食べた時、「あー、美味しかった。子どもの頃、母親が作ってくれた味に似ている」と感じられる場合もあるかもしれません。結局、知足については、人それぞれに思うことも捉え方も違うと思われます。
あと、私は、この聞いた言葉シリーズで、(第25回目)経済=経国済民、(第109回目)我が亡きあとに洪水よ来たれ、(第104回目)資本主義の暴走、資本主義の暴力、(第115回目)国家管理の資本主義などのページに現代資本主義における問題点を少しだけ書いています。これらのページに書いている事柄の多くは、まるで今回の「吾唯足知」(唯吾知足)の言葉を嘲笑するような状態です。しかし、いつまで、その状態が続くでしょうか。
このままでは、より一層の袋小路、諸矛盾の激化は、素人目にも明らかになって行くと思われます。このような問題を解決しえない限り、いずれ今回の言葉から「それ見たことか!」と、逆に嘲笑されることになるかもしれません。今回の言葉は、紀元前、中国の古い用語ではあるのですが、現代においても立派に価値を持ち続ける意味があるような気がします。
私の場合、自他共に認める貧乏人ですから今回の、この言葉を噛みしめる以前の生活状態のような気がします。できれば一生の内たまにでもいいから、この言葉を活用して「自分は分相応のところで満足しているよ」とか「人生はお金がある、ないだけではないなあ」とか言ってみたいです。たぶん、そのようなことがないまま終わるのでしょうが、それもいいのかもしれません。