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聞いた言葉・第192回目、勝利は100人の父を持つが、敗北は孤児だ。

 

勝利は100人の父を持つが、敗北は孤児だ。

 今回の言葉について、私は最初、映画『砂漠の鬼将軍』(DVD)の字幕で見ました。この映画の簡単紹介や今回の言葉が語られるシーンについては、後で書いています。その前に、今回の言葉は、和訳では、<勝利は100人の父を持つが、敗北は孤児だ。>で、英語では<Victory has a thousand fathers, but defeat is an orphan.>です。

 そして、この言葉をキーワードにホームページの英語版などで調べてみますと、出典(誰が語ったかなど)について、様々な説があります。下記に上野調べながら主なものだけを順不同で列記しました。
(1) フランクリン・D・ルーズベルト説(アメリカ第32代大統領1882〜1945年)
(2)チアノ説(Galeazzo Ciano、イタリア王国外務大臣、1903〜1944)
(3)映画「砂漠の鬼将軍」説(1951年制作のアメリカ映画)
(4) ジョン・F・ケネディ説(アメリカ第35代大統領、1917〜1963)

 以上の通り(1)〜(4)説もあるので、どれが原典か私には正確には分かりませんでした。この中で、英語版・日本語版ホームページでも一番多いのは(4) ジョン・F・ケネディ説です。ただし、私の単純な推測ながら、先の箇条書き( )内に書いています年などから普通に考えれば、(3)の映画説と、(4)のケネディー説は本来ありえないとも思えます。

 なぜなら、1951年制作の映画以前に誰かの話があったからこそ、映画の脚本が書けたからだと思えるからです。さらに、映画制作より後年になるケネディー大統領が、何かの演説で話したことはあったとしても、それは先にあった事例を引用・参照したと推測されるからです。

 話は本題の今回の<勝利は100人の父を持つが、敗北は孤児だ。>の意味について書きます。それは、「(戦争や戦闘で)勝利した場合、その要因や条件を造ったのは自分だ(私の手柄だ)と沢山の人が言う。しかし、敗北した場合(その原因関係者は自ら名乗り出ることもないので)、孤児みたいなものだ。(敗因責任者は現れない)」 との解釈ができるでしょう。

 順序後先になりましたが、映画『砂漠の鬼将軍』を簡単に紹介します。原題は、The Desert Foxで1951年制作のアメリカ映画です。この映画は、ドイツ軍の英雄であったロンメル元帥(注1)の悲劇をテーマにした内容ですから、当然主役はロメル元帥役のジェームズ・メイソンです。それ以外にも多士済々な俳優が沢山出演されていますが、このページは映画紹介ではないので省略します。

(注1)ロンメル(Erwin Rommel、1891〜1944)= ドイツの軍人。第二次大戦中,北アフリカ戦線で戦車軍団を駆使して活躍,「砂漠の狐(きつね)」とうたわれた。のち,ヒトラー暗殺計画に巻き込まれて自殺。(国語辞典の大辞林より)


 なお、ヤフー映画紹介の解説には、『砂漠の鬼将軍』について、次の<>内のことが書いてあります。 <“砂漠の狐”と異名をとった独軍アフリカ方面司令官ロンメル元帥は、戦況不利となっても強硬策を主張するヒットラーの横暴さを許せず、彼を暗殺する計画に加担。だが、計画は不成功に終わり、ロンメルも主謀者の一員として反逆罪に問われる……。>

 今回の言葉は、映画のどのシーンで登場しているかです。それは、連合国からノルマンディー上陸作戦をかけられ、敗北濃厚なドイツ西方総軍(北フランスなど)の司令部で、ロンメル元帥がゲルト・フォン・ルントシュテット元帥と二人きりで話すシーンがあります。そして、ロンメルから「(友人や知人たちが密かに)ヒトラーを拘束してアイゼンハワーと和平を結ぶ計画していること」を打ち明けられ同調するように求められます。

 しかし、ルントシュテットは、基本的には賛同しつつも高齢を理由に断ります。そして、別れ際にロンメルに、今回の言葉=<勝利は100人の父を持つが、敗北は孤児だ。>を言って注意するように述べます。そして、この計画は(歴史上でロンメルが直接関係していたか、どうかは定かではないようですが)後で、ヒトラー暗殺計画として実行され失敗します。そして、ロンメルも自殺に追い込まれます。映画で今回の言葉が語られるシーンの説明は、概要以上の通りです。

 この言葉の意味は、先に述べた解説の通りです。繰り返しになりますが、戦争や戦闘では関係している人も100人どころか1,000人あるいは万人も下らない時もあるでしょうから、勝利した時には、それ以上の人が表面に現れ、敗北した時には千人いようが万人いようが、誰も見向きも語ることもないと言うことでしょう。

 国内の例ですが、戦前、日本軍が真珠湾攻撃やシンガポール攻略した時には、日本全国で提灯行例(ちょうちんぎょうれつ)までしたと聞いたことがありました。逆に、ミッドウェイ海戦などの大敗北は軍事機密扱いで国民には知らされず戦後になって、やっと大本営発表の嘘八百や誤魔化しが分かったのでした。つまり、「敗北は孤児」どころか、国民全体が騙されて、どんなことがあっても戦争推進させられていたと言うことでしょう。

 このように本来この言葉は、戦争や戦闘での話でしょう。しかし、通常の一般的な社会生活上での話でも、この種の似たような例は多いのではないでしょうか。例えば、分かりやすい一例として世界大会やオリンピックなどで、それまであまり知られていなかった選手が金メダルとったとかです。また、どこかの会社か個人が、何かで日本国内や世界的ヒット商品を開発したとかもあるでしょう

 さらに言えば国内では、あまり評価されていなかった俳優や歌手などが、海外の映画祭や音楽祭で賞をとった例なども分かりやすいのかもしれません。そうなれば、それまで一言も話したことがない人が、「優勝した・・・君とは、親戚だ」、「友人だ」、「同郷だ」、「同級生だ」とか、中には「自分は他のクラブだったが、同じ場所で練習は一緒だった」みたいな話しまでも急に増えて盛り上がるかもしれません。

 今回の言葉との根本要因は違うのかもしれませんが、私は、先にあげた現象も似ているような気もします。この種のことは、私のような庶民や一般の方ならば、ある種の親戚・知人・友人などの自慢話みたいに語るのはいいと思います。問題なのは、報道関係の評価ではないでしょうか。その地域では活躍されていることは分かっていても通常はスルー(黙殺)状態、しかし、国内や海外で賞などをもらえば、たちどころに「我が市や県のスターか、英雄」のごとく取り上げる報道姿勢です。

  これらは、自分で調査・評価するのではなく、まさしく誰かの評価の判断に基づく「お墨付き報道」そのもののような気がします。とりわけ、そのようなマスコミによく登場されている「・・・評論家」と呼ばれる方は、それまで、その人達の活躍を見ながら何を見て評論しておられたのでしょうか。もしかしたら、<勝利は100人の父を持つ>と同じように、何かのく「お墨付き」があれば、自分も関係したとか、評論していたと一緒になって騒がれる立場の方々でしょうか。

 話しは元に戻り、重複した内容になりますが、今回の言葉は『砂漠の鬼将軍』という戦争映画上のシーンからですから、 どうしても戦争や戦闘でのことでしょう。この<勝利は100人の父を持つが、敗北は孤児だ。>の言葉は、そのことからして簡略化して考えれば、「勝利=表面化する」、「敗北=秘密にする」となるのでしょう。これは、孫子の兵法で語られている「 敵を知り己を知らば百戦危うからず」の奥深い意味と、全く逆行しているとも思えます。

 私は、聞いた言葉シリーズ第44回目に『成功は忘れ、失敗は覚えておくという、どこかの会社の社長さんがテレビ番組で語られたことを書いています。そのページで、私はまとめ的な意味も込めて、次の<>内のことも書いています。 < (前略) 自らの失敗例を臆面なく堂々と言うことのできる方は、本当に腹の据わった、懐の深い人だろうと思いました。

私の関係ホームページ
 成功は忘れ、失敗は覚えておく
 戦争の最初の犠牲者は「真実」である
 大局観察、小局着手
 壁は外よりも内にあり
 常に自制心と謙虚さを持って
 失敗作品も大事です
 新聞を裏から見る
 策士策に溺れる
 今さら計画の中止はできない
 間違いから学ぶことだ
 走る喜びがこの公園をそしてわが日本の友の心を満たしますように

 さらには、たとえ何か諸問題発生しても、そのような方は、なるべく小さな段階で素早い対応で乗り切れる方だとも思います。これとは逆の方は、問題の深みにはまりながらも、部下や他人のせいにして、さらに深刻化する道に進んでいることが分からないでいる方だろうと思いました。 (後略) >

 もちろん、今回の戦争にまつわる言葉と、成功は忘れ、失敗は覚えておくは、大きく条件も内容そのものも違いますが、言葉の持つ真意それ自体は、どこか共通項も感じました。

  つまり、現在進行形に今回の言葉=<勝利は100人の父を持つが、敗北は孤児だ。>を置き換えるならば、国民に多大な影響を持つ人達(政治家やマスコミなど)が謙虚さを忘れ、勝利・成功した時だけ得意げに語り、失敗や敗北の時は、その教訓を無言で通すならば、また同種同内容の重大な過ちをを繰り返すことを示唆しているような内容とも思えます。


(記:2015年6月1日)

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