人にも旬(しゅん)がある
今回の言葉は、記憶定かではないのですが、様々な方から教えて頂きました。その方々は、たいていの場合、有名人か政治家などを例えに話をされたと思います。まずは、旬の言葉の意味です。国語辞典の大辞泉には、次の<>内のことが書いてあります。 <旬=1,魚介類や蔬菜(そさい)・果物などの、最も味のよい出盛りの時期。「旬の魚」「たけのこの旬」 2,物事を行うのに最も適した時期。「紅葉狩りの旬」>
このように用語解説だけから考えるなら旬とは、国語辞典にあるように元々は生鮮の野菜・果実や魚介類などから来ているようです。あと、同意義語ではありませんが、これに近いような言葉として「人から誘われる内が花」とか「人から(反対、賛成含めて)言われる内が花」などとも聞きました。先に挙げた例も、広くは人からの自分に対しての要望、評価などが根底にあると思えます。
先の国語辞典でも分かる通り元々の意味は、生鮮の野菜・果実や魚介類などから来ているのに、今回なぜ人に触れた言葉になっているのでしょうか。その点も踏まえつつ 、私自身の解釈を書いていきます。人は、何かの仕事あるいは才能を発揮する期間は(抽象的な表現ながら)努力と継続をしていれば、かなりの年数あるいは長ければ一生涯に近い場合もあるかもしれません。
今回の言葉は、当然そのように長いことではなく、広く一般の方(社会や世間と言う表現も可能でしょう)から、何かの仕事や才能などを強く求められる期間は、 そう長くないと言うことの例もあると言うことです。分かりやすい分野としてプロ野球選手として活躍される方は大学卒でも20年前後でしょうか。同じスポーツ選手でも、陸上、水泳、冬季競技などの選手ならば、国際大会その他に出られるのは、先の実質半分位の期間でしょう。
これらのスポーツは、いくら他の方から活躍を願われても、また本人も精一杯頑張っても、どうしても体力や年齢の関係から、その期間は限られてくることはやむを得ないでしょう。この活躍期間が長いか短いかは、人それぞれ違ってくるでしょうし、人の評価もマチマチと思われます。
あと、歌手などはヒット曲を出さないといけいないでしょうから、それまでの準備やそのヒット後の続きなども考えれば活躍の期間が長い人もいれば極端に短い方もいらっしゃるでしょう。中には、いくら努力してても芽が出ないまま、その世界から去られた方も、星の数ほどおられるのかもしれません。さらには言えば、何かの曲をリリースした当時は、広く受け入れられなくて社会の変化にともない、あるいは時間がかかって(機が熟して)ヒットされたと言うこともあり、それは旬(の時期)が自分が望んでいた頃より後だったということかもしれません。
政治家についても自分(政党)の目指す政策が選挙を通じて受け入れられる時期もあれば、社会全般の考えが変わって、その変化状況についていけず、逆に旧来の考えが通用しなくなる状況もあったでしょう。つまり、その候補者は、以前ならば成功に導いた自らの主張だとしても、いつまでも長く選挙民に賛同されることはないと言うことです。ただし、政治や国の状況を語る場合は、どんな困難さがあっても守り続ける政策や主張があることは、古今東西いつの時代も同じことも当然あることでしょう。
あと、普通のサラリーマン(庶民)でも、色々な仕事場で以前ならば問題の良否や商品の出来具合含めて沢山言われていたが、最近はサッパリ言われなくなったことはないでしょうか。いずれにしても、ケンカ腰とまでは言いませんが、人から色々と小言や批判含めて言われている内は、やはり人から注目や期待されているからでしょう。「あの人に何を言ってもダメだから、もう黙っておこう」との雰囲気になれば、それは言葉の有無だけでなく、そこにいる必要性があるか、ないかまでも生じているのかもしれません。
ただ、先に挙げた歌手のヒット曲例でも書きましたが、人の評価や心は移ろいやすく、それまで見向きもされなかった事柄でも再評価される場合も時を経てあるかもしれません。逆に、いくら旬だと言っても野菜と同じで最初から売れないようなものを陳列してあれば手に触って確かめてもらえない事柄と同じで、それは売れないのが当然でしょう。
今回の人にも旬があるという言葉の根底には、短期間を意味していますが、私は、季節限定の生鮮野菜やフルーツと違って、人は本人が望むかのぞまないかは別としても、様々な分野で色々な変化のある売り出し方もできるのではとも思っているのです。
つまり、分かりやすく売り手(自分)と買い手(人)とするなら、買う側の要望に応えられるような工夫や変更をすれば今までと違った「需要」はあるのかもしれません。
しかし、このようなことは口で言うほど簡単ではなく、さらには自らの変化の準備中、人の方が逆に変わっていく場合もあるでしょうから、なかなか難しいと想像もしています。私が思うに人にも旬があると言う意味は、結局のところ人から求められる時期に直ぐに対応できるかにかかっているようで、それには日常不断に研鑽(けんさん)に努めておられる方々に最もふさわしい言葉とも言えます。