「日本型経営」が危ない
今回の言葉は、『文芸春秋』1992年2月号で(当時の)盛田昭夫氏(ソニー会長)の論文からです。その論文名は「日本型」経営が危ない 「良いものを安く」が欧米に批判される理由となっていました。 そして、単行本ならば「21世紀へ」(盛田 昭夫 2000年11月発売)に収録されていました。盛田氏(下記の国語辞典を参照)は、この当時、確か経団連の副会長(会長は平岩外四氏)でもありました。 これは個人論文ですが、当時の経団連の考えた方を反映したものとも言われていたようでした。
(国語辞典の大辞林より)<盛田 昭夫(1921〜1999) 企業家。愛知県生まれ。大阪大卒。1946年(昭和21)井深大とソニーの前身・東京通信工業を設立。71年社長に就任,76年から会長。海外市場の開拓に貢献,ソニーを世界的企業に育てた。>
現在、この論文の全文は、盛田昭夫ライブラリー、変革への勇気「『日本型経営』が危ない」(1992年)のページから閲覧できます。なぜ、このような論文が発表されたかという背景は、かなり論文発表当時から遡った(さかのぼった)年代になるのですが、終戦後、日本は経済復興、高度経済成長一本道みたいに突き進み、貿易でも大幅黒字を上げるようになっていました。つまり、内需よりも外需に利益を求めていた時代が続いていました。
そして、そのようなことから諸外国から例えば、日本人を評して「ウサギ小屋に住む仕事中毒」と揶揄(やゆ)したEC(ヨーロッパ共同体)の内部文書が出たり、 集中豪雨的輸出(1960年代、1970年代など問題になった輸出品目は違うが、集中豪雨のように輸出するやり方)ではないかと批判されていました。 また、エコノミックアニマル(経済的利益を追い求める動物の意。昭和40年代,国際社会における日本人の打算的・利己的な態度を皮肉った言葉。大辞林より)という言葉もありました。また、「日本の常識は世界の非常識」と言われ始めたのも、この年代頃からでした。
また、、1970年代初め頃から日本人は「1億総中流」意識があるとも言われていました。ただし、経済状況、住居や生活の豊かさなども含めて中身のともなわない、ただ意識のみの「中流」だったのではとも言われました。 さらに、1970年代から80年代にかけてのリストラ合理化も激化して、世界に類例を見ない過労死も頻繁(ひんぱん)に言われた年代となりました。
先に述べた事柄は、戦後以降の年代幅があるので、全てが今回の<「日本型」経営が危ない>の出された背景ではないのですが、いずれにしても日本特有の会社経営方式が様々形で世界から批判され、その対処策を 諸外国から求められたのは根底にあったのでした。そして、その問題点を研究をするために当時の経団連はヨーロッパへ、会長や副会長自ら出向き調査や懇談もされたのでした。
そのような結果を盛田氏は、1992年2月に個人論文として「日本型」経営が危ない 「良いものを安く」が欧米に批判される理由とのタイトルで発表されたのでした。そして、その中で問題提起を分かりやすく概要下記六つの項目を挙げておられます。(ただし、下記は詳細内容を私が箇条書きに直したものです。実際の文章は長く説明しておられますので、先のリンク先から原文を閲覧願います)
1)勤労者の長時間労働が問題で時間短縮をすべきではないか。
2)従業員への給与が低すぎるのではないか。
3)株主への配当が低すぎるのではないか。
4)下請け・関係企業(取引先)と契約上、対等平等ではなく不満を持たせているのではないか。
5)積極的な社会貢献がなっていないのではないか。
6)環境保護や省資源対策への配慮がないのではないか。
以上のような日本企業として問題点がありながら改革・改善しないまま、さらに「良いものを安く」欧米に提供しても批判されるのではないかと言う危機感を持って提起されていたのです。ただし、日本の会社に改善を求めても、 「日本の現在の企業風土では、あえてどこか一社改革をやろうとすれば、その会社が結果的に経営危機に追い込まれてしまうような状況が存在しています」から、うまくいかないとまで指摘されていました。
このことは、私が推測するに法律か何かで全国いっせいにやっていかないと、改革できないと言っておられるのではないかと思います。実際、盛田氏の論文発表のあった1992年2月から(2015年現在で)既に23年も経つのに欧米に比べ働く人の給与水準は低く、長時間労働や過労死が大幅に減ったなどは聞いていないです。さらに、近年の政治の悪化で、消費税増、医療・年金の改悪、老後の生活不安などは増えるばかりで国民の生活に重くのしかかっています。
さらには、盛田氏が懸念、指摘された日本の企業風土は、その当時もよりも悪化してきている感じです。例えば、昨今の動きとして時間短縮するどころか、むしろ「残業手当ゼロで、長時間労働推進を図る」ような、結果として過労死を増大させるような法案さえ推進されているのは、ご承知の通りです。
また、EU(ヨーロッパ連合)では、資本主義国であっても一定のルールある経済とも言われています。その点、日本は「ルールなき資本主義」と言われて、例えば分かりやすい例として、労働時間(長時間)、雇用(非正規雇用が多い)、男女賃金格差など大きく、さらにEUの多くの国では教育費や医療費は原則無料に近いとも聞きました。なお、その負担軽減分の多くが、消費にまわっているので、景気が回復する要因となっているのでしょう。
そのようなヨーロッパ諸国の状況からして、盛田氏の先の六つの提起は、ある意味、日本における「ルールある資本主義」作りの基礎だったのかもしれません。しかし、その提起から長年経つにも関わらず改善されるどころか悪化の一途です。これで、日本経済が根本的に良くなる訳でなく、仮に昔のような集中豪雨的輸出みたいなやり方を繰り返して良くしようとしても、欧米間との政治問題化となるでしょう。
私は、(2003年4月4日付け)聞いた言葉シリーズ第25回目「経済=経国済民」にも書きましたが、経済の語源である”経国済民”=国を経め(おさめ)民を救う」立場での政治が必要と書きました。また、まとめに次の<>内のことも書いています。<こんな時だからこそ、『「経国済民」』の精神に立っての経済政策(運営)が、必ずや好転する兆しを見せる第一歩とも思えます。
何事も基本や基礎が、結局のところ「急がばまわれ」ではないでしょうか。経済の語源(=経国済民)は、中国の古い言葉だけではなく、現在でも脈々と常に流れ続ける”新しい言葉”のように私は思えます>
私は、「経済=経国済民」の真意と、今回取り上げている盛田氏の提起は、現在でも通じる対応策ではないかと考えています。なお、現在進行形で過去何十回とやった失敗経済政策=「トリクルダウン理論(trickle-down theory=今は”アベノミクス”が、実施されています。しかし、これは一部の大企業や大手の機関投資家だけ儲けて、国の借金が増えるばかりの経済政策ですから、いくら情報操作しても良いように表面上見せても結果は、最初から明らかです。
特に、国内消費の多くを支えている国民(勤労者)、そして、その多くが中小企業で働いていますが、そのどちらとも苦労しているのです、そのことに手当てせずして、逆に悪化させるようなやり方で、国全体の経済が良くなる訳がありません。先の失敗経済策=「トリクルダウン理論(trickle-down theory=今は”アベノミクス”」より、1992年の盛田氏の六つの提起の方が、むしろ、日本経済を根本から強くして行く最低限の施策だとも思えます。