聞いた言葉・第213回目、大切なものは目には見えない
大切なものは目には見えない
私は、今回、上記の辞典通りに、童話「星の王子さま」と、「童話」と書いています。私は、もう50年以上も前の児童か生徒の頃だったでしょう。この本は、手に載せたと思いますが、途中で投げ出したと思います。元々、勉強や読書嫌いでしたから、途中までというのは、この本だけではなかったと思います。 ただし、この童話は、単に「童話」の世界だけでなく、なかなか大人でも直ぐには分からないような、何回も読み返してみる部分も多々あるようです。そのような文章の中で、有名な一節で、童話ではキツネが王子さまに言う場面とか、他にも同種同内容みたいにして、今回の言葉が出てきます。その一例として、下記の英語版と、和訳(自動訳)で参照願います。 It is only with the heart that one can see rightly; what is essential is invisible to the eye. (人が正しく見えるのは心だけです。大切なものは目には見えない) 私は、今まで様々な分野の方が、この言葉を引用参照して語られたのを聞いた覚えがあります。やや意味合いが違うのは、脇において、その一例を挙げます。 例えば医療関係者からは「健康のありがたみは、なくして始めて分かる」とか、葬儀の時、お坊さんの説教で「いつも、そばにいるのが当たり前と思っているから、亡くなってみて初めて、その方の存在感が分かる」とか、また、そんな大きな事柄でもなくても(聞いた言葉シリーズ・第39回目)「あって当り前出来ていて当然なのか」みたいな言葉の後に、必ずといって良いほど「大切なものは目には見えないとも言いますしね」と話されていました。 上記の例は、サン=テグジュペリの言いたいことと、全部がぜんぶ一致しているとは思われません。しかし、日常普段に思い当たる場合もあります。今回の言葉と本筋が違うと思いますが、例えば分かりやすい例として、水道・電気・ガス・電話などは、ライフラインともいわれ、日常あって当たり前でした。 私は、1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災を経験し、軽微ながらもアパートの屋根、家電や家具などに損害を受けました。その時、一時期でしたが、日常あって当たり前のライフラインが使えなくなりました。しかし、なんとか寝ることはできましたし、当時、仕事場でもあった大阪空港へ行けば食事も飲み物も会社の風呂もあったので、そう困るほどではなかったものの、通常とは違う生活を数日間したのも事実でした。
また、このようなことは、身の回りの事柄だけでなく、広くは地域・市町村・都道府県・国の、あるいは国際的なレベルもあるかもしれません。ただし、サン=テグジュペリの言った「大切なものは目には見えない」は、私なりに考えて極身近な、日常普段のことだろうと思います。 それは例えば、お金、物、面積や数字など目に見るものではなく、心で感じることではないでしょうか。 |
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