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聞いた言葉・第213回目、大切なものは目には見えない

大切なものは目には見えない

 今回の言葉は、サン=テグジュペリの童話「星の王子さま」の一節からです。まず、サン=テグジュペリと、彼の童話「星の王子さま」の辞典解説を長文になりますが、下記に紹介します。

 サン=テグジュペリについては、ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説には、次の<>内通りに書いてあります。ただし、一部後半部は、省略しています。 <サン=テグジュペリ(Saint-Exupéry, Antoine Marie Roger de)=生:1900.6.29. リヨン、没:1944.7.31. マルセイユ沖。フランスの小説家,飛行士。初めエコール・ナバル (海軍兵学校) を志望したが果たさず,兵役で空軍に入隊,飛行士の資格を取ったのち,ラテコエール社に入社,初期の長距離航空路開設に重要な役割を果した。第2次世界大戦に際して偵察機パイロット,のち北アフリカで連合軍の飛行士となったが,任務でコルシカ島を飛び立ってのち,消息を断った。墜落地点は長らく不明だったが,2003年 10月にマルセイユ沖で引き揚げられた機体の一部が,2004年に本人の搭乗機と確認された。飛行士としての知識と経験を,人間精神の価値に関する深い省察にまで高めて,密度の高い詩的な文体に表現した。 (後半部は省略)>

上記写真は角川文庫の表紙(アマゾンサイトより) 
 童話星の王子さま」(Le Petit Prince)については、大辞林に次の「」内の通りに解説してあります。 サン=テグジュペリの童話。1943年刊。星に住む小さな王子を主人公に、詩的な文章で精神の純粋さと高貴さを謳うたいあげ、寓意に満ちた物語は、世界中の人々に愛読される。

 私は、今回、上記の辞典通りに、童話「星の王子さま」と、「童話」と書いています。私は、もう50年以上も前の児童か生徒の頃だったでしょう。この本は、手に載せたと思いますが、途中で投げ出したと思います。元々、勉強や読書嫌いでしたから、途中までというのは、この本だけではなかったと思います。

 ただし、この童話は、単に「童話」の世界だけでなく、なかなか大人でも直ぐには分からないような、何回も読み返してみる部分も多々あるようです。そのような文章の中で、有名な一節で、童話ではキツネが王子さまに言う場面とか、他にも同種同内容みたいにして、今回の言葉が出てきます。その一例として、下記の英語版と、和訳(自動訳)で参照願います。

 It is only with the heart that one can see rightly; what is essential is invisible to the eye. (人が正しく見えるのは心だけです。大切なものは目には見えない)

 私は、今まで様々な分野の方が、この言葉を引用参照して語られたのを聞いた覚えがあります。やや意味合いが違うのは、脇において、その一例を挙げます。

 例えば医療関係者からは「健康のありがたみは、なくして始めて分かる」とか、葬儀の時、お坊さんの説教で「いつも、そばにいるのが当たり前と思っているから、亡くなってみて初めて、その方の存在感が分かる」とか、また、そんな大きな事柄でもなくても(聞いた言葉シリーズ・第39回目)あって当り前出来ていて当然なのかみたいな言葉の後に、必ずといって良いほど「大切なものは目には見えないとも言いますしね」と話されていました。

 上記の例は、サン=テグジュペリの言いたいことと、全部がぜんぶ一致しているとは思われません。しかし、日常普段に思い当たる場合もあります。今回の言葉と本筋が違うと思いますが、例えば分かりやすい例として、水道・電気・ガス・電話などは、ライフラインともいわれ、日常あって当たり前でした。

 私は、1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災を経験し、軽微ながらもアパートの屋根、家電や家具などに損害を受けました。その時、一時期でしたが、日常あって当たり前のライフラインが使えなくなりました。しかし、なんとか寝ることはできましたし、当時、仕事場でもあった大阪空港へ行けば食事も飲み物も会社の風呂もあったので、そう困るほどではなかったものの、通常とは違う生活を数日間したのも事実でした。

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 人は、 どれだけ長く生きたかではなく、どう生きたかが大切だ
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 これが、人間関係、特に家族・親戚・友人・知人・仕事仲間などだったら、どうでしょうか。人には、必ず出会いもあれば、別れもあります。その人の存在は、あまりにも日常当然過ぎて、その場にいなくなったらポカリと大きな穴があいたような、埋め戻すことができないようにも感じる場合があります。

 また、このようなことは、身の回りの事柄だけでなく、広くは地域・市町村・都道府県・国の、あるいは国際的なレベルもあるかもしれません。ただし、サン=テグジュペリの言った「大切なものは目には見えない」は、私なりに考えて極身近な、日常普段のことだろうと思います。

 それは例えば、お金、物、面積や数字など目に見るものではなく、心で感じることではないでしょうか。


(記:2018年10月29日)

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