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聞いた言葉・第212回目、報道が仕えるべきは国民だ。統治者ではない。

報道が仕えるべきは国民だ。統治者ではない。

 今回の言葉は、2018年3月30日公開映画『ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書(THE PENTAGON PAPERS)』(英語名:The Post)で知りました。ただし、改めまして、この私の聞いた言葉シリーズは、映画紹介ページではありませんので、前のリンク先サイトに書いてある内容を長文ながら、そのまま引用していますので、下記<>内から参照願います。

 ABOUT THE MOVIE メリル・ストリープ×トム・ハンクス  スティーヴン・スピルバーグ監督  奇跡のチーム実現!   国家の最高機密文書<ペンタゴン・ペーパーズ>。 なぜ、アメリカ政府は、4代にわたる歴代大統領は、30年もの間、それをひた隠しにしなければならなかったのか―。  1971年、ベトナム戦争が泥沼化し、アメリカ国内には反戦の気運が高まっていた。国防総省はベトナム戦争について客観的に調査・分析する文書を作成していたが、戦争の長期化により、それは7000枚に及ぶ膨大な量に膨れあがっていた。

 ある日、その文書が流出し、ニューヨーク・タイムズが内容の一部をスクープした。ライバル紙のニューヨーク・タイムズに先を越され、ワシントン・ポストのトップでアメリカ主要新聞社史上初の女性発行人キャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)と編集主幹ベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)は、残りの文書を独自に入手し、全貌を公表しようと奔走する。真実を伝えたいという気持ちが彼らを駆り立てていた。

  しかし、ニクソン大統領があらゆる手段で記事を差し止めようとするのは明らかだった。政府を敵に回してまで、本当に記事にするのか…報道の自由、信念を懸けた“決断”の時は近づいていた。 >(引用終了)

 
私は、毎回書いていますが、「映画は見ている、その時に楽しめれば、それだけで良い」という考えの持ち主です。この映画も、公開されて間もない頃に、映画館で見ました。全体通して、最初から大体の結論は分かってはいたものの上映時間116分と、そう長時間の映画ではないものの、とにかく、テンポもピッチも素早く展開する内容でした。

  素人の映画感想ながら、全体通してスティーヴン・スピルバーグ監督の腕が冴え(さえ)渡っていました。そのため、内容それ自体は、「歴代大統領の情報隠し」「報道の自由」とか「新聞社の経営」などと、やや硬い内容ながら、話しのつながり、そのテンポ良さから、先の上映時間が短く感じたものです。

上記写真はブルーレイディスク・DVD盤  

 また、主役のメリル・ストリープと、トム・ハンクスの話題性だけでなく、(老いも若きも)脇役陣含めて、適材適所と言いますが、実に”いい味を出していた役者さんたち”と思える内容でした。

 ここで、やっと本題になりますが、今回の言葉は、どのシーンで登場するのかと言いますと、後半、電話を聞きながら女性記者が社内いるスタッフ全員に大きな声で、最高裁判所判事の新聞社へ勝利判決内容を伝えるシーンで、判事の言葉として次の「」内のように述べています。

 「建国の父たちは報道の自由に保護を与えた民主主義における基本的役割を果たすことだ。報道が仕えるべきは国民だ。統治者ではない。」(英語:The Founding Fathers gave the free press the protection it must have to fulfill its essential role in our democracy. The press was to serve the governed, not the governors.)

 上記は、映画の字幕からですが、時間制限の中で、やや角ばった表現ながら、その主旨は良く分かります。ひとことで言えば、「アメリカ民主主義」が短い言葉ながらにじみ出ている感じにも思えました。詳細書けませんが、映画内容は全て、私の20才代の頃の話しでライブで見聞きしていました。

 つまり、ベトナム戦争も、その戦争反対の米国内外(世界的規模による)運動も、また米政府内の機密文書の問題点を報道したニューヨークタイムズ紙やワシントンポスト紙のことも、既に事実として知ってはいました。

 私は、その当時、アメリカという国はベトナム戦争はじめ世界各国で無茶苦茶なことをする政府だなあと感じていました。ただし、一方で国民も新聞社も裁判所も、こと真実・正義・自由・権利などは、その各界階層とも必死に奮闘する、素晴らしい国民性のある国だなあとも思っていました。このような力が、大統領が何人も変わっても終結できなかったベトナム戦争を終わらせた(敗北した)ことにつながったのでしょう。

 あと、もう一つ印象に残っているのが、既に私の聞いた言葉・第177回目、『守るべきは報道の自由、この国の未来』にも書いていますが、世界の最高権力者とも呼ばれているアメリカ大統領のニクソンを現職中に辞任に追い込んだ世論の力です。そのきっかけを作ったのは、(今回の映画『ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書』の最終盤に、ちょっとだけ、そのことを思わせるシーンがありますが)ワシントンポスト紙の「ウォーターゲート事件」報道からでした。

 それに比べ、日本は、どうでしょうか? ここ近年、有名過ぎるほど、公文書の「改竄(かいざん)」「隠蔽(いんぺい)」「不祥事(ふしょうじ)」「水増し」などが、ずっと飛び交っています。しかも、収まる気配がなく、現在も同時進行で他の何かも進んでいる感じさえします。

私の関係ホームページ
 守るべきは報道の自由、この国の未来
 空気で作られた「真実」と「正義」
 真実を自分で探す時代
 全ての人をいつまでもだまし続けることは出来ない
 メディアの取材現場は変わらないし、役割が強くなる
 首相辞任のキーワード=国民との矛盾
 演説の希望と失
 経済=経国済民
 カレーライスとライスカレーの違い

 日本売り

 悪貨は良貨を駆逐する(グレシャムの法則)
 雰囲気選挙より政策の判断を
 経済の語源に逆行する政策は破綻への道
 言葉遊び国会、劣化政治
 策士策に溺れる
 政権交代の期待と裏切り
 トリクルダウン理論(trickle-down theory)
 そして、「忖度(そんたく)=他人の気持ちをおしはかること(広辞苑の解説より)」という言葉も、大流行しました。この言葉は、今回の映画で紹介されたアメリカ最高裁判事の言葉「報道が仕えるべきは国民だ。統治者ではない。」をそのまま準用すれば、本来は主権者の日本国民に「忖度(そんたく)」するのが本筋であって、「統治者ではない」はずです。

 なぜ、日米の違いは、大きいのでしょうか? ただし、私は、アメリカのリンカーン大統領の言葉として、聞いた言葉・第83回目、『全ての人をいつまでもだまし続けることは出来ない。』を書いています。時間かかっても日本も、このリンカーン大統領の言葉通りになると考えてもいます。

 また、私は、先に述べたアメリカの記者さんだけでなく、日本でも新聞・テレビ・雑誌社など現場第一線で、国民に寄り添い、身も心も国民と同じ立場で奮闘されている記者さんも知っています。国民一人ひとりは、限度限界もあることも確かですが、その一介の庶民の目覚めと行動を最も恐れているのが、国民の立場にたたない「統治者」でもあると思います。

 この映画の結論は、アメリカのことながら、まざまざと、そのことを示唆(しさ)しているような気がします。そして、(聞いた言葉・第197回目)、「明日の天気は変えられないが明日の政治は変えられる」ことでもあることを、今回の映画や言葉は教えているような気がします。


(記:2018年10月22日)

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