守るべきは報道の自由、この国の未来
今回の言葉「守るべきは報道の自由、この国の未来」は、映画『大統領の陰謀(All the President's Men)』からです。個人的なことながら、私の大阪時代に映画館で見て、近年DVDでも見ました。この映画は、IMDb(The Internet Movie Database)のサイトなどによりますと、1976年制作のアメリカ映画で同年のアカデミー賞で助演男優賞(ジェイソン・ロバーズ)、脚色賞、美術賞、録音賞の4部門を受賞した作品です。主役は、ワシントン・ポスト紙の記者役、(ボブ・ウッドワード役の)ロバート・レッドフォードと(カール・バーンスタイン役の)ダスティン・ホフマンです。(2013年現在で37年前の映画出演ですから二人とも40歳前位でマダマダ若い感じです)
映画の簡単な紹介ですが、当時のニクソン大統領を任期途中で辞任に追い込んだウォーターゲート事件(注1)が題材です。(注1)ウォーターゲート事=1972年米国の大統領選で、共和党の運動員が、ワシントンのウオーターゲートビルにある民主党本部に盗聴装置を仕掛けようとして発覚、ニクソン大統領の政治倫理が問われ、1974年8月に辞任に追い込まれた政治事件。(国語辞典の大辞泉より)
この映画は、ワシントンポスト紙の二人の記者による(たまに失敗もしながらも)本当に地道で粘り強い調査・取材を繰り返しながら報道していくストリーです。そして、ついに、核心部分であるCIA、FBIなど諜報・捜査機関がニクソン政権に支配され、自分たちに都合のいいように扱われている実態を突き止めます。
映画後半、そのような権力者たちによって二人の記者だけでなく上司に当たる編集長まで危険が及びかけていることを察知します。そのことを伝えに電話盗聴の可能性があるので直接、編集長の自宅まで行き、部屋の中でも盗聴機器が仕掛けられているかもしれないので3人は外で話し合います。
そして、記者二人は先に掴んだ情報を編集長(ベン・ブラッドリー役のジェイソン・ロバーズ)に報告します。それを聞き我が身にも危険が迫りつつつも、この編集長は、概要「守るべきは憲法修正第1条、報道の自由、この国の未来=Nothing's riding on this except the, uh, first amendment to the Constitution, freedom of the press, and maybe the future of the country.」と言って二人の記者を励まします。
その後、映画では多くのシーンはありませんが、このワシントン・ポスト紙の追及によって、結果としてニクソン大統領は1974年8月に辞任に追い込まれてしまいます。そして、後にも先にも任期途中でのアメリカ大統領の辞任という事例は、歴史上ないそうです。日本では、様々な国民への背信行為や自らのスキャンダルを起こして辞めた首相や大臣は、数多く見慣れた光景です。ただし、アメリカいや世界一の権力者とも言われている大統領が辞任したのですから、当時(私は22歳頃でしたが)大変大きなニュースでした。
私は、この映画の原作『大統領の陰謀 ニクソンを追いつめた300日』や事実経過の詳細までは知らないので、映画の展開しか分かりません。ただ、この映画内容と事実経過が合っていれば、今回の言葉である「守るべきは、報道の自由、この国の未来」は、現在でも様々な形で問いかけているのではないでしょうか。アメリカのマスコミも、過去・現在とも問題点、批判、非難すべき事柄は多いでしょう。しかし、ウォーターゲート事件や様々な事柄で権力側と対峙する場合、それこそ各社とも社運をかけてまで闘った事例も歴史上ありました。この点が、同じ政治報道でも日本のマスコミ対応とは、全く違っているように思えます。
日本の政治状況は、主権も選挙権もないのにも関わらず、長年ずっと「外交・安保政策はアメリカの言いなり、経済は大企業のいいなり」という端的な言葉が良く表している通りです。ですから、例えば、私の(2007年1月9日掲載の)「聞いた言葉シリーズ」『第68回目、『真実を自分で探す時代』に、次の<>内のことを書いています。
< (前略) イラク戦争前にアメリカは、その大義名分として「イラクには大量破壊兵器がある」とか「911テロと関係ある」みたいに世論に訴え戦争をし、それを丸ごと信じて検証もせずに日本も支持して突き進んでいったのは現在進行形ですから、ある面分かりやすいかもしれません。その時点では日本の政府だけではなく、マスコミも多くがその方向で報道していました。
戦争開始直後「新聞各社の社説は、この戦争は止むを得ないのではないかで偶然にも一致した」みたいな論評をテレビで述べておられたのが印象的に残っています。果たして、そうだったでしょうか。イラク戦争は現在も続いていますが、結果を知るまでもなくアメリカ自身が「大量破壊兵器はなかった」と議会証言や報告書で述べました。 (後略) >
日本のマスコミ各社は、事実上、日本政府と同じくイラク戦争に賛成の立場でしたが、あの当時、国内でもヨーロッパ、アジア、当のアメリカ国内でもイラク戦争反対の声や運動は大きかったのでした。各国国民の反対を押し切って、戦争をしかけた結果、弱い立場の子供たち含め犠牲者を多数出したのでした。また、イラク戦争の大義名分みたいに言っていたテロ対策の結果は、逆にテロの拡大再生産になったのでした。
その後、全面的に評価できるか出来ないかは別としてもアメリカの政府やマスコミでさえも、あのイラク戦争は問題あったとしているのです。しかし、日本では、全くこの種の報道はありません。つまり、今でも「あのイラク戦争開始は正しく、賛成の立場で報道した日本のマスコミは正確だった」ということでしょうか。
話しは変わりますが、マスコミは「権力者の監視役」とも言われてきましたが、果たして日本の実態はそうでしょうか。その権力者と巨大マスコミのトップ達は、一緒に高級料亭やゴルフなどをおこなっているのは、新聞に出ている通りです。このような権力者とマスコミの会食その他の親しい付き合いは、欧米にも例があるのでしょうか。「権力者の監視役」とか「報道の自由、この国の未来」と言う報道機関が本来持っている使命や精神と、真逆の姿のように写ります。
現在、国民や国全体の未来にとっても大変重要なTPP、消費税、原発、米軍基地など多数の問題があります。しかし、先のようなこともあり、その報道内容は国民の意思の反映と言うよりも、むしろ政府、アメリカや大企業に追従したもののように思えます。
日本の巨大マスコミが、日常普段に茶の間で報道し続ければ国民は大きな影響を受けやすいものです。そのような世論誘導報道によって消費税などが上がり、さらに年金だけでなく様々な諸制度の改悪が続けば国民生活の困窮は一層ヒドイものとなるでしょう。また、TPPの締結となると、農業、医療、保健、金融、その他、ほぼ全分野にわたって我が国そのものさえも深刻な事態に陥っていくと言われています。
私の(2007年10月7日掲載の)聞いた言葉シリーズ・第83回目、『全ての人をいつまでもだまし続けることは出来ない。』には、アメリカ合衆国第16代大統領アブラハム・リンカーンの言葉を紹介しています。この<一部の人たちを常に、そして全ての人たちを一時だますことはできるが、全ての人をいつまでもだまし続けることは出来ない。>との言葉は、リンカーンの生前(1809-1865)のことですから相当経っていますが、現在でも通用すると思います。
国民の動向は、試行錯誤しながらも、いずれ必ず先のリンカーンの言葉に沿って動いていくと考えられます。情報伝達の進展が、例えば木簡、石板などから紙、電話、ラジオ、テレビ、携帯電話、インターネットなどが台頭し、旧来のものから変わって行くのは技術の進歩上やむを得ないことです。しかし、「国民に役に立たない」と反発を受け、その結果見捨てられ衰退していくのは、メディアの本意でしょうか。私は、その本来の役目上からすれば違うと思っています。
今回の言葉は先にも繰り返し書いていますが、本来は「権力者の監視役」としての「報道の自由」であり、国民とっての「この国の未来」ためです。間違っても、国民を奈落の底に追いやるようなことに使うべきではないことです。