ケントスこぼれ話し (その1)
ケントスこぼれ話し | 1)〜20)は、このページ | 21)以降は、ここからご覧下さい |
20)インターネット時代のケントス、その6 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生来のサボリ症のため全国ケントス店のアドレス一覧をあまり点検していなかったので、今回の岡山ケントスのアドレス追加の機会に約1年ぶりに全部見てみました。岡山ケントスのページは、私が見たい情報は全部含まれています。(話が違いますが私の「岡山ケントス」紹介ページもご参照を) 私は勝手な書き方ながら既に「12)インターネット時代のケントス、その2」にケントスのホームページの最低必要条件として次の項目<・店の住所、連絡先、地図、営業日時、主なサービス内容 ・季節ごとのサービス変更 ・バンド紹介>などがあれば充分でしょうと書いています。 各店によっては見栄えなどのこだわりがあるかもしれませんが、いずれにしても「『ホームページの命は継続と更新』 (私の「聞いた言葉シリーズ・第54回目」より)だと思っていますから、今回全店のサイトとも、いいなあと思いました。 その中で携帯サイトでも情報発信しておられる札幌・仙台・沖縄店など便利ではないでしょうか。また、動画サイトは博多店が一番最初だったのではとの記憶があるのですが、今回リンク集ページからレギュラーバンドの映像が見られる仙台店などもあり、(まだまだ多くはありませんが)動画サイトの隆盛をここでも見る思いです。 また、従来のグッズ販売の各店サイトに加え、今回新たに見たのは静岡店からは来店予約やポイントカード登録が出来る作りもありました。このようにどの店も「オールディズ」を売り物する店ながら(他のインターネット販売サイトに比べたら遅いのかもしれませんが)新しい作りをされているなあとも思いました。(何か見落としなどありましたら申し訳ないです) 以上のような書き方でも、じっくり全店見ていましたら、直ぐに1時間経ってしまいました。私はどちらかと言いますとオールディズは生音楽が一番と言う考え方ですから、ケントス店に実際行くのが最良と思っています。そのためにも事前の情報は不可欠ですから、これからも各店、是非「サイトの継続と更新」を願っています。(掲載日:2008年3月6日) |
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19)私の好きなインスツルメンタル曲20 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
その大部分の曲も含めて私が学生時代(当時は貧乏学生のためステレオも買えない頃ですからラジオやテレビなど)から、社会人になっても聴いたインスツルメンタル曲を今回20曲編成で左表を作成しました。 なお、最初から、ご注意申し上げますが、私はこれら演奏曲のオリジナルは分かっていませんので、あくまでも表の通り「よく聴いたバンド名 」とだけ書いています。オリジナルもあれば、そうでない当時誰かのオリジナルを後でヒットさせたバンド名も書いていますので、その点はお間違いないように願います。 あと、何故このようなインスツルメンタル曲を書いたかと言いますと、私だけかもしれませんが、この年代になると頭に何となく残ってはいるものの年齢とともに忘れてしまった(笑い)、あるいは曲名はかろうじて覚えているがメロディーが出てこない(この逆も沢山ありますが)などが続いていました。 特にカーラジオなどで、「あー、この曲目は何だったかなあ?」と思いながら車を止めてでも調べたい気分になったことが、しょっちゅうありました。でも、近年インターネット(特に動画サイトやCD購入用の試聴ページ)のおかげで何十年かぶりに思い出したと言うこともあり、改めて書いてみようと考えました。私は動画閲覧の諸先輩方に比べ後進者ですから、今頃になってこのようなことを書くのは恥ずかしい感じもしますが、お付き合いのほど、よろしく願います。 私は、シャドウズやスプートニクスなどの動画サイトを見た時、「あー、懐かしい。この曲は聴いた、あったなあ」と声が出そうな時もありました。また、明らかに外国の方が投稿しておられる動画の中には、当時なかなか日本では見れなかったような映像もあり、曲は聴いてはいたものの「このバンドは、こんな服装で、こんな演奏スタイルだったのか」と思ったものです。 至らぬお節介ですが、まだ、ご覧になっていない方なら、ユーチューブ(YouTube)のサイトに、上の表の英語の曲名か(またはバンド名を、さらには両方とも)コピーして検索をかけて見て下さらないでしょうか。 検索結果(一部出ないのもあるかもしれませんが)たくさん表示される動画があります。年代の古いものから新しい時代まで、あるいは有名なバンドからアマチュアバンドまで探していたら、いつの間にか数時間経っていました。 あと、ケントスのステージで見たり聴いたりしていると、どうしても真ん中におられるボーカルや、その横あたりにおられるリードギターの方に目がいってしまいます。しかし、このような映像で確認しますと、ベースやリズム・ギターさらには後方に陣取るドラムスの役割が改めて良く分かりました。それぞれのパートがしっかりしていれば全体しまった感じに聴こえ、サビのところなどはより聴かせどころになるのだなあと思いました。 動画サイトの映像は、何回も繰り返し見れるのはいいのですが、インスツルメンタル曲含めてオーディズは、やはりケントスの生ステージで楽しんだ方が、より一層いいのかなあと思い直しもしました。 私は既に(当時の)「梅田ケントス、その5」のページに<・・・主に月曜日出演されていたゲストバンド『パロッツ』です。 このバンドのインスツルメント曲の演奏は、思わず「うまーい」とうならせるものがありました。その中でも、ブルースター、さすらいのギター、バンブルビーツイスト、春がいっぱい、キャラバン、木の葉の子守歌などは、泣く子も黙って(笑い)じっくり聴けるものでした。また、パイプライン、ダイヤモンドヘッド、10番外の殺人などは、乗りのりで踊っている人も多かったと思います。>と書いています。 今思うと私の大阪時代に、このようなインスツルメンタル曲を梅田ケントスに行ったら毎回のように聴けたのは良かったなあと思います。このようなことを書けば、また、当時の店内の様子が昨日のことのように思い出します。今度どこかのケントスに行く機会あれば、今回の表をもとにインスツルメンタル曲をリクエストしたいと考えています。(掲載日:2008年2月22日) |
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18)インターネット時代のケントス、その5 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
先に掲載していました「16)インターネット時代のケントス、その4
あと、今回の掲載事項は、あんまりケントス店とは直接関係ないのですが、往年の歌手などの動画について書きたいと思っています。 本題に入る前に私は自宅に光ファイバーを引いてから、大変遅まきながら動画関係(特にテレビニュース、山や観光案内など)見るようになりました。 (このことの詳細は、「私の雑記帳」ページの「光ファイバー導入記,その後2」の「動画を見る機会が増えた。」をご覧下さい) 現在のライブハウスの状況は、店に行く機会がないので分かっていませんが、私が頻繁に通っていた頃、一番良く聴いた曲は、次のメンバーだったと思います。男性歌手はエルビス・プレスリー、女性歌手はコニー・フランシス、インスツルメンツの曲ではザ・ベンチャーズです。当然これらの中にはオリジナル曲だけでなく、このメンバーが流行させた曲も入っています。 また、オールディズですから、あとニール・セダカ、ポール・アンカその他数多くの歌手やグループの曲も毎回聴いたのは言うまでもありません。まあ、たくさん聴いた、良くリクエストもした程度に思って下さらないでしょうか。そのメンバーは、私が約20年前ケントスに通い始めた当初からテレビかビデオテープでしか見れなかったと思います。(念のためベンチャーズは日本公演も頻繁にしていますが、私はステージは見ていません) 今では探せばDVDなんかもあるのでしょうが、私はたまたま機会あって動画で超有名なサイトにアクセスしてみました。英語が全く出来ない私にとって最初とまどいながら「Elvis Presley」、「Connie Francis」、「Ventures」と入力し検索をかけると、たくさんの懐かしい映像が飛び出して(笑い)きました。 私のように遅まきながら、このような往年のメンバーの動画を見ながら喜んでいるようでは、”完全なオッサンの証明”(笑い)ですが、それにしても皆さん、若い顔でした。あの空手のようなエルビスのエンディングポーズ、格好いい、まさしくロックの王者、千両役者ですね。 時代を感じされるモノクロ映像ですが、コニー・フランシスの「エヴリバディーズ・サムバディーズ・フール」は伸びやかで、彼女らしい大きな歌い方が改めて印象に残ります。「カラーに口紅」で流れる映像は全て静止画ながらパラシュートスカートやレコードのジャケット写真ありと、これまた懐かしさが込み上げて来ました。 1960年当時のベンチャーズ、「ウォーク・ドント・ラン」の曲でエレキギターを弾く姿がなんと真面目そうに見えるのか。私はパソコン組込みのスピーカーで聴いていますので、あんまり音自体は良くないかもしれませんが、ベンチャーズのエレキサウンドのキレの良さは最初からだったのだなあと思い直しました。 深夜しばし時間と英語サイトであることを忘れて見入ってしまいました。やはり、このメンバーと言いますか、曲自体の持つ特徴と言いますか、「古きをたずねて新しきを知る」感じで、これらの映像を見てオールディズは改めて現代でも脈々と生きている生命力の強い曲なんだなあと感心しました。(掲載日:2007年5月22日) |
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17)ケントスおもしろグッズ100個を掲載して | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
私のホームページで、「ケントスおもしろグッズ」(その1=1〜100個掲載済み)、(その2=101個から掲載中)のページがあります。この2006年11月27日掲載分で、丁度グッズ100個目となりました。このようなことが出来ましたのは、ひとえに全国の皆様のおかげであると心から思い、大変感謝しております。 私は、全国のケントス巡り(『ケントス全国一覧表』から、ご覧下さい)をした関係上、各店長さん始め色々な方から、店の記念品やグッズをもらいました。ざっと数えて20から30種類くらいあったような気がします。何らかの形で掲載したいと思いながら、この「ケントスおもしろグッズ」のページは、初回2003年2月26日掲載分からスタートしました。 更新サボリ症の私を見かねてか、皆様からグッズの画像を送って頂き、徐々に増えてきました。率直なところ当初「まあ50個くらいなら、なんとか掲載できるかなあ」と思っていましたが、まさか100個まで続くとは考えてもいませんでした。また、「これは”グッズの部類”ではないのではないかなあ」と自問自答しながら掲載した写真もありましたが、それはそれで良かったなあと思っています。 大きいサイズでは店の看板写真から、小さなところではバッジの画像まで、多種多様でした。送って頂いた画像の中にジャンパーなどもあり「おーこれは格好いいなあ」と思ったこともありました。全部がぜんぶ掲載していませんが、いずれも今となっては貴重なものばかりだなあと思うものもありました。店のオープン期間が短かった渋谷、ハワイ、錦糸町ケントス関係など、所有されていること自体、驚きでもありました。
それに、次のことがグッズに書いてあればなあと思ったことが何十回もありました。(ただし、全国共通品は除く) 1)店の名前 2)発行年(プラス月か季節など) 3)オープン何周年記念品の年数 上記が抜けていたので、どこの店の、いつ発行(制作)なのか分からず、結局どこでも通用するような見出しや内容しか書けない場合もありました。グッズを購入した、あるいは店からもらった当時は覚えていても段々やはり記憶は忘れ、曖昧になってくるなあと思いました。この点、現在もけっこうグッズ販売などされている名古屋店や博多店などは、気を配ってこのことまで書いておられるなあと思いました。 私のように、グッズをもらうだけもらって、このように好き勝手に書くだけかいている者が色々言うのはなんですが、各店長さん上記の件、今後ともよろしくお願いします。 いずれにしましても、閉店された店のグッズも含めて数十年経つのもありますが、様々な想い出とともによみがえります。また、このグッズのページをヒントにして、何か書かれた(制作された)とかもお聞きして、大変嬉しいなあとも思いました。オールディズもケントスもグッズも、これからますます盛んになって欲しいと祈念しています。(掲載日:2006年11月30日) |
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16)インターネット時代のケントス、その4 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
今回は、一言で簡単に書くならば、全国各店サイトのアドレス(2006年6月現在)の張り直しです。下記の「12)インターネット時代のケントス、その2」に2004年12月現在のアドレス状況を一覧表にしていましたが、この当時より相当期間たちましたので、かなり変わりました。
以前のサイトもそのまま残っているのもありましたが、今回「2006年6月現在」の一覧表は、全て最新のものにしたつもりです。 なお、これ以外にも個別(1ページくらい)の紹介ページもありますが、省略いたしました。 アドレスは、全店点検もしましたが、何か違っていましたら、教えて頂けないでしょうか。(メールはフォームメールページから頂くと大変ありがたいです。よろしく、お願いします) あと、各店2004年12月の頃より今回2006年6月現在の各サイトは、やはり工夫されて、良くなられたなあと思いました。以前も現在も来客されるお客さん相手がほとんど総てでしょうから、インターネットまでは、なかなか手が回らないと言うのが状況だと思います。そんな中、この分野でも良く頑張っておられるなあと感じました。 (サボり症の私が言っても重みも迫力もありませんが)ホームページで一番煩雑で面倒なのは、やはりページ更新ではないかなあと思います。毎週とまでは言いませんが、毎月あるいはせめてシーズンごとでも、何か変化や文字情報だけでも最新版が載れば、それはファンとしては見たいものですね。 最新・更新の情報から直接来店に繋がればケントス店にとって一番いいのでしょうが。現在は携帯サイトも含めれば情報入手の手段としてインターネットの役割は驚くべきものがあります。何がきかっけで、どう動いていくか分からない時代だと思います。煩雑かもしれませんが、更新も頑張って頂きたいなあと願っています。(掲載日:2006年6月18日) |
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15)インターネット時代のケントス、その3 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
この『インターネット時代のケントスその3』は、主に博多ケントスと銀座ケントスのサイトについて、書きたいと思います。内容は、両サイトとも従来のケントス関係になかったページの作りについてです。 始めに博多ケントスの方には大変遅れて申し訳ないです。実は博多ケントスのサイトには(記憶曖昧ですが2005年春頃から)「GALLERY」というページがあって、その中には、写真集やステージのライブ映像が見れて、さらに「第一回博多ケントスのベストセレクションVo.1」と言うスタジオで録音された音楽(もちろん以前活躍された博多ケントスのバンドの方々です)が聴ける作りになっています。 私は、このこと自体はページ更新された時点で知っていたのですが、「第一回」後の「第二回」のコーナーが更新されてから感想を書こうと今のいままで完全にサボって(笑い)いました。(私の認識間違いでしたらすみませんが)このような動画も見れて、音楽もフルバージョン聴けるページは、ケントス関係では初めてではないでしょうか。 私にとってパソコン操作しながらも、このようなフルバージョン聴けるサイトは毎回楽しいものですし、いつもいいなあと思っています。(この音楽の感想そのものついては13)『博多ケントス ベストセレクション Vo.1』をご覧下さい)このページの作りは、ケントス関係サイトでは画期的であり、一ファンとして感謝しております。 次に、東京のケントス関係(KENTO'S GROUP)のサイトについてですが、ここは、今年(2006年)六本木ケントス30周年を前に5月11日にブログの開設と5月31日サイト全体のリニューアルをされたようです。特に、今回「KENTO'Sデザイン開発室」と銀座ケントススタッフ「水野香余」さんの両ブログが特徴点だと思います。 私も大阪時代、銀座ケントスにも何回となく行きました。(その時の私の銀座ケントス紹介文はここからご覧下さい)私が行った当時もそうでしたがこの店は平日もけっこうな入りで、特に週末なんか店内は大変忙しいのに終わった後、お疲れ中でも水野さんはブログを書いておられるなあと、まず感心しました。また、その中でも6月14日付け「梁の武帝と達磨大師」の話しなどは、おじさん族の私の様な者でも人生訓を聞く思いがして勉強になりました。 今長崎からなかなか距離的にも財政的にも(笑い)、どの店にも行きにくいですが、その分全国のケントスサイトを見ることにより色々な情報を得たり、「おー、あそこのバンドは頑張っておられるなあ」と思ったりしています。グッズやCD関係の販売もされいている店も参考になります。 いずれにしましても更新は、どこのケントス店もなかなか気苦労の多いことでしょうが期待して、また見たいと思っています。(掲載日:2006年6月17日) |
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14)「かっこいいツイスト」の曲について | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
今回は、「かっこいいツイスト」の曲について、書きたいと思います。それは、なぜか。私のもとには、全国のオールディズやケントスファンから、ありがたいことにけっこうメールを頂いています。その中で、この「かっこいいツイスト」の曲についての内容が、今年(2005年)いくつかありました。 まず、この曲のオリジナルは、リチャード・アンソニーのようで日本では、弘田三枝子さんの歌です。私は、この曲について、ずっと以前にテレビかラジオで聴いたような、きいていないような(笑い)、そんな感じでした。ただ、私が大阪にいた時代に全国のケントス店を巡っていた頃も、どこの店内でも全く聴いたことないような気がします。 それが、(今春)ある方のメールによりますと、「『かっこいいツイスト』を京都、大阪、博多店などで聴いた。でも、東京方面では聴いたことがない」と言うことでした。また、別の方からは、関西方面でも特に、大阪梅田ケントスで今年(2005年)6月までおられた女性ボーカル(JUVIさんかな)の方が、「なかなか、この曲がうまくて、パンチがあり、ノリノリだった」と言うことでした。 ここで本題から外れて場違いなことを言うのは何ですが、このようなメールを頂くたびに、このド田舎に住んでいることが悔やまれます。一応光ファイバーも来ているし(笑い)、CDくらいなら自宅や車でも(笑い)聴けますが、ことオールディズの生演奏に関しては、残念ながら何にもなんにもありません。あー、一度梅田ケントスで、生でこの女性ボーカルの歌っておられるのを聴いてみたかったです。 あと、この「かっこいいツイスト」と言う曲は、”流行るオールディズ”の要素を全て含んでいるような気がします。まず、明るくて、軽快で、リズム感が良いので、ついつい踊りだしたくなるような、それに時間が短く、覚えやすい曲です。弘田三枝子さんの歌っておられる歌詞内容も「・・・美容体操よりもイカシタ感じよ・・・」、「・・・腰を振ってツイスト・・・」、「・・・彼とデートするより素敵な気分よ・・・」など、なかなか、楽しく微笑みたくなるような内容です。 このような曲が、もっともっとずっと長く流行れば日本全体明るくなり、不況も吹き飛ばし(笑い)、元気になりそうな、そんな想像もしたくなるようなキレのいい歌です。(掲載日:2005年7月26日) |
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13)『博多ケントス ベストセレクション Vo.1』 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
この「博多ケントスのベストセレクションVo.1」 テープの紹介と曲については、博多ケントスのサイト(「音楽クリップ)のページ)からご覧になり、聴くこともできます。また、このサイトには、このテープについて下記のことが紹介されていますので、全文引用します。なお引用文は、< >内です。 < 博多ケントスには、唯一1本だけ、スタジオで録音された”テープ”があった。「クールキャッツ」と「16チックス」による「博多ケントスのベストセレクションVo.1」だ。現在の支流の「MD」が高価で普及していない約10年前の話しである。
当時プレスしたのは300本。先行予約でほとんどが完売!買い逃したお客様からの追加の依頼もあったが結局追加プレスされる事はなかった。 その分、今となっては「幻のベスト盤」として、当時のお客様の思い出と一緒に大切にしまわれている。 人生は「過去を振り返ってはいけない」と言う人も多いが、博多ケントスに関しては、あえて過去を振り返り大切に思う事で今のありがたさを感じるようにしている。単なる「オムニバステープ」ではなくその中には、当時のメンバーの”思い”が沢山詰まっている、いわゆる”思い出のアルバム”なのだ! > 「(前略)あえて過去を振り返り大切に思う事で今のありがたさを感じるようにしている。(後略)」とは、まさしく、「その通り!」と申し上げたいです。一見「お金で何でも買える」ように見えても古今東西なにごとについても、先人や諸先輩の苦労を現在の者が享受しているようなことが多いと思う今日この頃(笑い)です。 私は、博多と言えば多くのバンドを輩出している土地柄と思ってみています。ですから、博多ケントス店のどのバンドの方々も、オープン当初から今までなかなかの力量ぞろいです。それを目当てに、私も20回くらいは行ったと思います。記憶定かでないのですが、この「クールキャッツ」と「16チックス」も、その名前ともども生演奏を聴いたように思います。 この収録曲は、いずれの曲ともバンド及びボーカルの方の力をいかんなくなく発揮されているものです。さらにその中でも、「ボントゥビーワイルド」は、エンジンスタートのサウンドエフェクトから入り独特の歌唱で、まるでハイウェイを走っている感じです。 「君の瞳に恋してる」と言う曲は、私が全国のケントス店を巡っていた頃、必ずリクエストしていた曲の一つですが、ここでの歌い方は、のびやかでキレがいいです。「プラウドメアリー」は、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(CCR)でもアップテンポのまるで流れるような演奏と歌い方がその特徴ですが、まさしくそのままで、しかもバックコーラスも渋い声で引き立ています。 「マイボーイ」は、正直言いまして私はあまりこの曲は聴いたことがなかったのですが、この方の歌唱は丁寧で切々と歌い上げるような、曲自体がこの方の声にピッタリのようで、じっくり聴いてしまいました。 「ローズガーデン」は、軽やかにステップ踏むような、両手広げてローリングするような小気味のいい歌い方で、ギターやドラムスの歯切れもいい演奏です。 「この胸のときめき」は、このボーカルの方が何百回(何千回)歌われたのか分かりませんが、そのくらい歌い込んだ方でないと、このような歌い方はできないなあと思いました。「パイプライン」は、エレキギターの映える曲ですね。あと、私の好きな『ブルースター』とか『木の葉の子守唄』などが、入っていればもっといいのですが。 他の曲も、ほかにも書きたいことがあるのですが、紙面の都合上(笑い)、今回は、このくらいにします。九州のケントスと言えば、かつて小倉、博多、長崎、熊本、鹿児島(一時期、鹿児島市内には2店)ありましたので、私は、どの店にも行きましたが、残念ながら今は博多店のみとなって久しいです。 私が同じ九州だから身びいきかもしれませんが、このページ下記に掲載中の六本木ケントスオープン10周年記念パーティー(1986年10月)時のアルバム『WE LOVE KENTO'S』 が作られた頃のバンドは、むしろ九州各店がリードしている感さえありました。 今やオール九州の代表みたいな博多ケントスですが、第二、第三の「ベストセレクション」の活躍を祈念するものです。(掲載日:2005年7月11日) |
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12)インターネット時代のケントス、その2 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
この『インターネット時代のケントスその2』は、『その1』(2004年4月24日掲載)の次に、あまり間をおかかずに直ぐ書こうと思っていましたが、今頃になってしまいました。その間に、各店の状況や各店のサイトにも、『その1』と比べても8箇月間しかたっていないのに、閉店、サイトの閉鎖、アドレス変更などの変化がありました。 アドレス変更のサイトの中には、中身がより新鮮、強力になったものもあり、いい変身だと思いました。そのほか、中身はそう多く変わっていなくても、例えば「掲示板機能」が、閉鎖になっているサイトもあるようです。私は、この”掲示板”については、色々思うことがあります。
ケントスの掲示板といえば大抵、そのほとんどがお客さんからの書き込みで、バンドや店内の感想・印象さらには挨拶みたいものから店への問い合わせまで、色々見ました。 中には、バンドやスタッフの方へ心温まる感謝や気持ちを伝える内容・激励もありました。 逆に、こんな些細なことまで書き込まないといけないのかなあと思う文面も見ました。 皆様ご存知の通り、掲示板は誰でも簡単に書き込めますが、それは逆に作用することも当然あります。中には、変な広告・宣伝も掲載される場合、あるいは「掲示板荒らし」みたいな方も出てくる可能性もあると思います。 そのようなことから、管理人は日常普段のサイト点検が大変だなあと想像します。でも、このような事項が総て影響して、掲示板やサイト自体の閉鎖につながったとは考えられませんが、何事も功罪色々とあるのかなあと考えています。ただ、私の大阪時代なら別ですが、ケントスの「ケ」の字もなくなったこの長崎県の田舎にいても、何かとケントス情報が入ってくるのは、それはもうインターネット様様(笑い)です。 私の他のページ「聞いた言葉」シリーズの『あるとないとは大違い』にも書いていますが、やはり、各店のケントスファンにとって、店のサイトの存在は気になるところではないのかなあと思います。私の独断と偏見ですが、店のイメージからして見てくれの良さも必要なのかもしれませんが、まずは「あるかないか」、次に「更新されているか、どうか」ではないでしょうか。サイトのコンテンツも「あれもこれも、何でもあり」でなくても、例えば、次の ・店の住所、連絡先、地図、営業日時、主なサービス内容など ・季節ごとのサービス変更など ・バンド紹介 などがあれば、見る側にとっては最低必要条件(笑い)は満たしていると思うのですが、どうでしょうか。あとは、月替わりの店や出演バンドのスケジュール、プレゼント情報などあればさらにもっと閲覧者には喜ばれるでしょうけど。 あと大変至らぬお節介かもしれませんが、景気厳しい折、少しでも経費節減とおっしゃるなら、何がなんでもオリジナルのサーバやアドレスだけでなくても、店のグループ会社(親会社)のサーバやもっと安くて済む方法もありますが。どちらにしてもサイトがあれば継続して見たいものです。(掲載日:2004年12月29日) |
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11)六本木ケントス28周年記念CD、The Flames | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
このCD、実は鎌倉の熱心なケントスファンの方からプレゼントして頂いたものです。 まず、このページからも、感謝申し上げます。六本木ケントスは、1976年6月にオープンして、既に今年で、28周年です。このようなオールディズのライブハウスが、長年続くこと自体ある種珍しく、また、全てにおいて”激戦区”の六本木と言う土地柄からして、驚異とも言えます。 私はケントス関係者でも何でもありません(笑い)が、このように長期間続けられることは、歴代の経営者、スタッフ、バンドなどの皆さんによるたゆまないご努力と、それに超が付くほどの熱心なオールディズファンの成せる技かなあと思うばかりです。 このCDでまず目に引くのが(全部の)ジャケット写真で、本当にオールディーズのCDらしい作りです。特に、曲名記載ページには、ジュークボックス写真と曲選択ボタンみたいに書かれている曲タイトルがありますが、これは、昔その操作をした者として、懐かしい感じがしました。
私は、このロゴマークを見ると、なんか「おー、ひさしぶりやなあ、お前元気でやっとんたんやなあー」(笑い)と、声かけたくなるような気分がします。 あと、この「Wurlizer」の文字が出てくる写真がもう1枚、CDが入る部分に白黒写真があります。これは全国どこの店内にもあるスピーカー(上部には「STRIKE UP THE BAND」との文字もあり)の写真です。CDが入るところにこの丸いスピーカー写真ですから、納まりが良い感じがします。 演奏しているバンドは、六本木ケントスのレギュラーバンドThe Flamesです。私は、久しく六本木に行っていませんので、残念ながら生演奏は聴いたことがありません。曲名は別表の通りです。 オールディーズの名曲中の名曲を中心に20曲プラス、カラオケ版2曲です。この中で、ミスター・ロンリーは、各地のケントスに行っていた時も良く聴きましたが、それもチークタイムの代表曲みたいな感じで。 話し脇道にそれますが、私はこの曲を聴きますとと条件反射(笑い)のように、「皆様の夜間飛行のお供を致しますパイロットは わたくし城達也です・・・・」の名ナレーション始まってい たFM番組のオープニング曲として、忘れられないです。 タバコの煙など全くない(笑い)綺麗なミラーボールがまわる中この演奏が聴けたら、城達也さんの名ナレーションのとおり「満点の星をいただく果てしない光の海」を曲のイメージとして名実ともに感じられるのになあと、ある店内でそう思っていました。(掲載日:2004年6月29日) |
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10)インターネット時代のケントス、その1 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
私がケントスを初めて知ったのは、1986年東京ケントス(現在の六本木ケントス)でした。その後、当時大阪池田市在住でしたから関西を中心に通いはじめ、いっそ全国全店まわろうと思い、達成したのが1990年でした。その後のオープン店も含め、私は31店(2004年4月現在)に行ったことになります。
(ご参考までに、オープンした延べ店舗数は、私の調べではハワイ店含め36店だったと思います。ただし、同一地域での同一店名の重複は省きます) 私が、全国をまわっていた頃、ケントス関係の色々な情報を知ると言えば、当時ほとんど総てが印刷物、もしくはせいぜい電話でした。 各店の情報と言えば、出演バンド、イベント案内を始め、店内でのグッズ、レコードの販売、店の飲み物やフードサービスなどです。 バンド情報は変わるのがごく当然ながら、店のサービス案内なども、けっこう全国どの店でも季節ごとに変えることがありました。このことは、現在も同じでしょう。 また、例えば大物ゲスト出演に合せてその案内ハガキあったりとか、どこか新規オープンした店の案内なども自宅に届きました。まあ、当時のことを(仮称)「印刷物オンリー時代」としても、けっこう各店の情報は、手元に届いたものでした。それ以上の詳細情報の入手は、結局、店に電話などしておこなう「本人の努力」(笑い)だったと思います。 私の場合、ただでさえズボラな性格ですから、事前にイチイチ電話確認などして行くはずがなく、店の玄関先の張り紙を見て、「あっ、そうか今日は貸切やったんか」と言って、何度違う居酒屋(笑い)に行ったことでしょうか。また、演奏始まってから、「アレー、いつものバンドと違うんやなあ。まあでも聞こうかあ」と、どっしり座り直したものでしょうか。 そのようなことを経て、記憶定かではありませんが、ケントス各店がインターネット(サイト開設など)時代になりかけたのは、1998年頃からではないでしょうか。なぜなら、この頃、私は自宅でインターネットを始めるようになり、ケントスのサイトを検索し、見たような見ていないような(笑い)覚えがあります。 その後は、一例ですが上記の表(2004年4月現在)の通りです。なお、上表のアドレスは今後変更もありえますので、何か情報をお持ちの方は教えて頂けないでしょうか。お願いします。(つづく) (上野注:「その2」へ続きます)(掲載日:2004年4月24日) |
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9)アルバム『WE LOVE KENTO'S』 その3 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
このライブ録音盤は、全国ケントス店のバンドが集合して作られているため、色んなレコード構成もできているなあと思いました。その内の一つが、「女性ボーカル花の競演です」と紹介されている「ヴァケーション」、「ビー・マイ・ベイビー」、「この世の果てまで」の連続です。アップテンポあり、スローありと、花の競演にふさわしいなあと思いました。
女性と言えば(私が長崎県と言うこともあり身びいきかもしれませんが)「ボーイ・ハント」を歌っておられる長崎ケントス=ブルームーンの女性ボーカルの声は、いい声でしかも、じっくくりしっくり歌い上げておられ、スローナンバーでは一番の聴きどころと独断(笑い)しました。 アップテンポ曲では、エド山口さんのギターテクニックが、ここぞとばかりに映える「パイプライン」です。 この方の演奏は、波乗りをまったくやったことのない私(笑い)でも、ハワイの海でうねる波の中をサーフボードに乗っているような感覚(笑い)にさせられます。手を突き出しながら踊りたくもなる演奏です。この方は話しも楽しいですが、ギターもうまいし、せめてあと数曲入っていればなあと思ったほどです。 この当時の大阪ケントス(その後、大阪南ケントス)上妻健さんリードボーカルの「ライオンは寝ている」は、私が大阪にいる間に生演奏で何十回となく聴き、この方の代表曲の一つだと思いました。ライオンだけでなく、チーターもタイガーも(笑い)この方の歌を聴いた後、気持ち良く寝れるのではないでしょうか。脱線気味ですが、オールディズの中で、動物の名前が付いていて、これほど有名な曲はないのかもしれません。 司会をずっとしながら、最後の方で「ストップ・イン・ザ・ネーム・オブ・ラブ」を歌っておられるのが、ルーシーさんです。まずこの方の曲紹介と歌の英語は、英語音痴の私でも聴きとりやすいです。新潟と博多ケントスの女性ボーカルとでコーラスをしておられますが、これが往年のシュープリームス風の再現で、その雰囲気が伝わってきます。 (どの歌もそうなのかもしれませんが)オールディズは歌い込めばうたいこむほど、うまくなられたボーカルの方を見てきました。同時にヒットした曲オリジナルの良さを出される歌い方が(なんか変化をつけたような歌唱より)本当にいいなあと思いました。(掲載日:2003年12月27日) |
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8)アルバム『WE LOVE KENTO'S』 その2 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アルバム『WE LOVE KENTO'S VOL1』には、下表のような曲が収められています。ライブ録音スタートから3曲続けて、「ダイアナ」、「おおキャロル」、「監獄ロック」と、まあ一気に爆発、トップスピードと言う感じです。その中でも博多ケントスのバンド『サーフ・サイド・6』は、私も何回か直接聞いたことありますが、当時全国でも常に上位に入るくらいの実力だったのではと思います。歌も演奏もバランス良かったと記憶しています。
ゲストの伊藤聖使さんは、司会者から「日本のエルビス、ナンバーワン」と紹介を受けて登場していますがこの方は、なるほどと思えます。 「バーニングラブ」は、短いながらも最初から最後までノリノリ、迫力満点で(私も好きな曲の一つですが)ギンギン、ガンガンに走り抜けている感じです。 この曲は、歌唱力のない方が歌うと曲に負けそうになると思いますが、この方はさすが「日本のエルビス」と納得しました。 演奏の方も曲と同名の(新潟店のバンド)「バーニングラブ」ですが、出だしのギターから、なかなかのせられます。 |
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7)アルバム『WE LOVE KENTO'S』 その1 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
はじめに、オールディーズのページに不釣合いな書き出しですが、この「アルバム『WE LOVE KENTO'S』の作られた時代背景と一考察」を(笑い)したいと思います。と、難しく書いても結論は簡単で(笑い)、このアルバムは、六本木ケントスオープン10周年記念パーティー(1986年10月19日、赤坂プリンスホテル、クリスタルパレス、出席者数約1000名)のライブ録音盤です。 私は、今まで何回も書きましたが、1990年までに当時の全国ケントス全店を巡りました。その前の数年間は、本当に凄い勢いでケントスは全国展開されていて、新規オープン店情報を見た時、「えっ、またか、あそこも、ここも」みたいな感じでした。ただ、勢いがあってオープンしたからと言って、それが長続きするのかと言うのは、それはまた別問題で各地でその後閉店もありました。 話しはかなり脱線気味になりますが、この”ケントス店の勢い”と言うのは、物差しを変えれば色々あるだろうなあと思います。例えば、全国店舗数ナンバーワンの年、全国への広がり率が一番、映画まで作った年、ハワイまで進出した年、来客数ナンバーワンの年、バンドの数が一番多い年、収益率最高の年などと、尺度を変えれば、それらの年はかなり違ってくるような気がします。、 店舗数だけなら、現在の(東京都内の3店を始めととする)全国17店の方が、当時(1986年、14店=札幌、仙台、東京、新潟、名古屋、金沢、京都、大阪、松山、小倉、博多、長崎、鹿児島、沖縄)より、多いでしょう。ただし、その後も函館、青森、郡山、宇都宮、岐阜、大阪梅田、広島、岡山など続々とオープンしています。(当然、閉店もあります)ご参考までに、オープンした延べ店舗数は、36店(ハワイ店含む、同一地域での同一店名の重複は省く)だったと思います。 これらの状況からして全国規模の広がりからすれば、この10周年当時からの数年間が一番抜群だったと思えます。とにかく、どこに行っても、何をやっても当るみたいな、そんな状況がありました。そんな中、丁度10周年記念があって、ゲストの方々は当然いますが、(当時の)全国14店のバンドが一堂に会して、歌や演奏すると言う画期的なイベントだったのです。 |
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6)ケントス関係のレコード一覧 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
今までこのページで、いくつかケントス関係のレコードを取り上げてきましたが、今回は、一覧表を作成してみました。まずは、下表をご覧下さい。
最初に、1977年のレコード発売にご注目下さい、この表の上3つのレコード種類でもお分かりの通り、なんと1年間に3枚のレコードが出されています。ケントスチェーン店が、「どこへでも、イケイケ」調子(笑い)で、全国展開真最中にその総力を結集して作ったと言われている映画と同名の『この胸のときめきを』(サウンドトラック盤)の発売年が、1988年です。 その1988年から今日まで(2003年9月現在)の約15年間のCD発売枚数は、1枚(ただし、地方店の発売は除く)ですから、いかにこの1977年の3枚が、スゴイ数字か、改めて感心します。また、この3枚の中には六本木ケントス店のみならず、スタジオ録音などもあり、「うーん、なかなか、やっていたねえ」と思わせるレコードばかりです。 1986年発売の「WE LOVE KENTO’S」は、『六本木ケントス10周年記念』のレコードです。この時は、全国のケントス店のバンドが、一堂に会して録音されたと聞いています。その直後だったのか、私も当時の大阪ケントス店でバンドの方から、その模様について少しだけですが、ステージ上から聞きました。 バンドの方の話しによると、「見んなで集まって、スゴイことやったねえ」、「その時のレコードが発売されているので、買って下さい」みたいなことでした。なんか、声弾ませたような感じで、やはり、歌い手にとってレコード(今ならCDでしょうか)録音は、大きい出来事なんだろうなあと思ったものです。 また、レコード発売されていたものを、現在の技術を駆使して頂いて、DVDなら上表のアルバム全部丸ごと録音できるでしょうし、色々な事柄からそれは出来ないと言うことなら、せめてCDで復刻版が出されるなら、是非買ってみたいなあと思いますが。 上表のレコード発売は、全国共通の店内誌などでも宣伝されていましたが、ほかにも、全国のケントス各店からも(詳細な把握は出来ていませんが)けっこう発売されていたようです。私が、大阪にいた当時も、CDではありませんでしたが、カセットテープは数本購入しました。現在も、広島ケントスのホームページなどでは、CDの発売のページがあります。 今回とは別の機会に、また、このケントスのレコードについては(そのほかのことも含めて)、書きたいと思っています。(掲載日:2003年9月12日) |
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5)六本木グラフィティー | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
この『六本木グラフィティー』と言うアルバムは、1976年12月3日に実況録音されたものです。下表の通り、同じ曲やメドレーも入れ、15曲が収録されています。
バンド名は、ザ:ケントス(The Kento's)で店と同じ名前でした。このアルバムは、ザ:ケントスの5枚ある中の最初のレコードです。このバンド名は途中メンバー交代はあっても、この名前で1993年くらいまで続きました。(その後は現在活躍中の「フレイムス」となります) このアルバムには、「もっともNOWな店、六本木ケントス、その専属バンド、ケントス遂に登場!! ロックンロール、ツィストとポップス界に一大ブームをまき起したヒット曲を満載した白熱のライブ盤! <六本木「ケントス」実況録音盤>」と書かれてあります。この文章短いながらも当時のことをぴったりと表現していると思いました。また、レコード内容も、お客さんの掛け声、拍手それに店の雰囲気をそのまま出ています。丁度一緒に店内で聴いている感じで、スタジオ録音とまた違って、これはこれで楽しめるものです。 あと、ゲストの顔ぶれもなかなかの者で、ゴールデンカップス時代のことしか知らない私にとって、デーブ平尾さんが「ブルースエードシューズ」を歌っているのには、少し意外な感じもしました。また、鈴木義之さんの「悲しき街角」は、つい体が動かしたくなるような、リズム感ある歌い方だなあとの印象が残りました。
意外性と言えば、私が全国のケントスを巡っていた時、そのほとんどが女性ボーカルが歌っていた「悲しき片思い」、「バケーション」などを、このアルバムでは男性歌唱なのですが、これがまた、なんとも言えず味のある歌い方をしておられます。 歌もさることながら、演奏の方もなかなかで、特に、「サーフィンUSA」、「ニールセダカメドレー」、「ルイジアナママ」あたりは聴かせどころと思いますが、流れるような感じがいいと思いました。 あと、このアルバムを見て改めて思うことがいくつかあります。その一つが、(当時、もうライブ盤などは珍しくはなかったと思いますが)自店のステージで自店のバンドが中心で、ゲストも招き(27年後の今も大きくは変らないと思いますが)お客さん含め自店の雰囲気そのままを詰め込んでレコードを作ってみようとした発想そのものが、なんか当時新鮮だったのかなあと。 二つ目に、色々な面でいわば”激戦地”の六本木と言う土地で、基本的にはほぼ同じ歌、ステージや演奏スタイルで、これ以降ずっと30年近く当時も今も続いていることの一種の驚きを改めて感じさせることです。 そのことは、とりもなおさず(あらゆる年代を超えて、いつの時代でも明るく、親しみやすく、軽快で乗りやすい)オールディーズの持つ魅力(魔力?)が、そうさせているように私は思います。 いい歌(曲)は、音楽の分野を超えてスタンダードナンバーとなり、色あせることなく、何世代にも渡って続くのだなあと改めて思いました。(掲載日:2003年7月19日) |
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4)六本木ケントスで見たバンド | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
六本木ケントスは、1976年6月にオープン(当時、店は、俳優座の裏付近にあった)しました。最初は決まったメンバーのバンドと言う訳ではなかったものの「ダーティーサーティーズ」と言う名前のバンドが毎週火曜日活躍していたそうです。このバンドはヴィレッジシンガーズの林ゆたかさんをはじめ、同じく小松久さん、バニーズの鈴木義之さん、スウィングウェストの山本とおるさん、ブロードサイドフォーの黒沢久雄さんら、そうそうたるメンバーでした。 この当時から、通っておられるケントスファンのSさんの情報によると、六本木ケントスのレギュラーバンドは、その名もずばり『ケントス』と言う名前で当時は4人でギター2本とベース1本そしてドラムスという編成でした。(実質ギターの一人はリードボーカルなのでギターは1本)その後キーボードを加え、サックスを加えたりし、メンバーチェンジを繰り返しながらも、ずっと1993年頃まで続いていたそうです。 オリジナルメンバーの杉村タカシさんがいなくなったころから、ケントスというバンド名はなくなったようです。その後、ハウスロッカーズ、ワイルドキャスター、宇都宮のレギュラーだったワイプアウトという変遷をし、現在レギュラーバンドは、活躍中の「フレイムス」です。その間のエキストラバンドは、いくつかあり、その中でも、月に1回のバンドながら「林ゆたかとパームスプリングス」は、凄いバンドだったそうです。(このバンド紹介については、前回掲載したページの通りです) 今のようにインターネットなどで調べられず、また、ケントス店内でも来月のスケジュール等の案内を置いてはいなかったので、毎月初めにこのバンド見たさに、ケントスに電話をして「パームスプリングス」の出演日を聞いておられたそうです。そして、毎回足繁く通われたそうです。(前回のページに掲載しませんでしたが)この「パームスプリングス」のバンドのテーマソングは、トロイ・ドナヒューの「恋のパームスプリングス」で、ステージの最後には、必ずこの歌を生沢佑一さんがボーカルで歌っていたそうです。 |
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3)(ケントスのアルバムCD)『Very Sweet Memories』 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
今回紹介しますケントスのアルバムCDは、私も、あるケントスファンの方に頼んで一緒に購入して頂きました。(掲載写真は、2枚ともこのCDジャケットからのものです) このCDを紹介してあるホームページ(全国KENTO'S TOP PAGE)には、「青春のときめきを詰めた18粒の『Very Sweet Memories』ひとつぶ一粒を全国から厳選しケントス専科の皆様にお楽しみ頂きます」と書かれてあります。 CDジャケットあとがきには、「このアルバム録音は2003年2月13日の仙台ケントスから始まり3月の23日の金沢ケントスまで、札幌と沖縄を除いては車に録音機材を乗せて移動し、その走行距離はなんと5千キロの旅となりました。(後略)」と書かれています。
ただ、個人的に少し残念なのは、私の大阪時代500回くらい通った梅田ケントス(現在のバンドは「ビッグアップル」)と、常時”バンド激戦地”の博多ケントスの曲が入っていないことです。 まあ、いずれかの機会にまたこのようなアルバムが制作される時に、このことは期待して待ちたいと思っています。あー、このようなことを書けば、たまには大阪に行って、ビッグアップル・CHIAKIさんの歌も聴いてみたいです。 あと、今回のアルバムと1988年に作られた映画「この胸のときめきを」(全23曲)のアルバム(下記ページ掲載中)を見比べてみると、同じケントス制作に変りはないですが、(アルバムが違えば曲名も違って当然ですが)時の流れとともに収録曲について、それなりの変化も感じました。 また、栄枯盛衰、変化の激しいこの時代に、私が全国ケントス店を巡っていた頃(1980年代後半及び1990年代始め)と全く変らない名前(1990年全国ケントス、ハウスバンド一覧のページをご参照ください)で頑張っておられる札幌、仙台、金沢、京都、沖縄店などのバンド名を見た時、なんか懐かしさと嬉しささえ感じました。 全国どこの店も経営的には、左うちわばかりではないかもしれませんが、これからもずっと永続して欲しいなあとも思いました。このようなアルバムを聴くと、また、各店に行ってみたい気がしました。(掲載日:2003年6月12日) |
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2)すごいバンドだった | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
今回このページは、私のホームページを良くご覧になっているSさんからの情報をもとに書いています。今回のテーマは、『林ゆたかとパームスプリングス』と言う約20年ほど前の六本木ケントスのエクストラバンドについてです。一ヶ月に一度レギュラーバンドのケントスに代わって出演していました。まずは、そのバンドの紹介です。下表をご覧下さい。
また、一人ひとりの名前ごと、どんな活躍をされたのかを書かなくても、「分っている」と言う方ばかりだろうと思います。 リードギターは、曲目により交代していたようです。(ベンチャーズの曲の時はエド山口さん、その他の時は岡田志郎さん)リードのパートでない時はサイドギターをやっていたそうです。また、パームスプリングスのテーマソングは、トロイ・ドナヒューの「恋のパームスプリングス」です。ステージの最後に、必ずこの曲を生沢佑一さんが、ボーカルで歌っていたそうです。 それに、この時代にエド山口さんが、(ラジオの深夜番組で学生に人気あった)オールナイトニッポンの二部(朝3時から)を担当していて、ケントス公開録音をされたそうです。その時にSさんは、その公開録音の時にも、参加されたそうです。 また、当時のケントスには、このバンド見たさか、けっこう有名人や芸能人も、来店されていて、当時Sさんは、ずうとるびの江藤さん、今は亡き荒井注さん、そしてエド山口さんの弟のモト冬樹さんとも、店内で会われたそうです。その中で、記憶に残っている話しとして、エド山口さんが、客席の弟さんを見つけてステージから、「おー冬樹、元気か。髪の毛薄くなったなー」と言ったことだそうです。 もう今となっては、望むことできないようなメンバーばかりですが、その人それぞれに、思い出と当時の懐かしさが甦ってくるのではないでしょうか。また、このようなメンバーの頑張りがあったからこそ、その後に続くオールディーズやケントス店の隆盛があったのだと思います。(掲載日:2003年5月30日) |
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1)映画サウンドトラック版 『この胸のときめきを』 1988 Oldies but Goodies | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
今回は、映画そのものより、バックに流れているオールディーズの音楽について、書きます。この当時、もうCDが一般化していましたが、私のような貧乏サラリーマンにとって、CDプレイヤーが高価に感じて、なかなか、両方とも購入できませんでした。 カセットテープは、当時のケントス各店内でも、デモ版(右写真)と製品版(左写真)が売られていました。デモ版は、同じ曲2曲で歌唱付きと、歌なしのカラオケ用でした。 私は、以前書いたページ(六本木ケントス)に、デモ版も購入したみたいな記述をしています。 でも、今考えると買ったのか、はたまたもらったのか、記憶曖昧です。まあ、どちらにしてもこのデモ版は、製品版よりは少なく、黄色のジャケットとともになぜか記憶に残っています。 発売元は、アポロン音楽工業で、私のような世代ではこの会社名を聞くと、スナックでカラオケを歌った8トラックテープが懐かしく思い出される人も多いのではないでしょうか。レーザーカラオケなどが、出るずっとずっと以前の話しです。 デモ版は、歌唱付きのが歌手生沢佑一さん、曲名「この胸のときめきを」、同じく林舞さん、 「ジョニーエンジェル」が入っています。製品版をご存じない方は、下表の歌手名や歌っている曲名一覧をご参照下さい。 この製品版テープは、合計23曲入っていますが、その内の最多(4曲の)歌唱は、生沢佑一さんです。最初聞いた時「さすが、なるほど」と思ったものです。 私は直接には1回も聴く機会がありませんでしたが、声も歌い方もエルビスみたいな雰囲気があり、聴けばきくほど「うーん、なかなかいいなあ」と思いました。(掲載日:2003年4月10日) |
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