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聞いた言葉・第203回目、騒動神(そうどうがみ)

騒動神(そうどうがみ)

  今回の言葉は、私の知っている範囲内で、ほぼ(長崎県の)大村などで年配の方で使われている言い方と推測しています。なぜかと、いいますと私が一時期(25年間)、関西に在住していた頃には聞いたことありませんでした。また、インターネット検索しても、この用語例は出てこないようです。 そして、次の<>内に、念のために書いています国語辞典上の騒動の解説内容と、今回の言葉は、かなり意味も雰囲気も違います。(文と関係ありませんが、右下側の花はサフランモドキ)

 騒動(そうどう)=1 多人数が騒ぎたてて秩序が乱れること。また、そのような事件や事態。「騒動を起こす」   2 もめごと。争い。(国語辞典の大辞泉より)>

 <(かみ)=人間を超えた存在で、人間に対し禍福や賞罰を与え、信仰・崇拝の対象となるもの。 1, 宗教・習俗において、信仰・崇拝・儀礼・神話・教義などの中心となる位格・存在。日本の神道や民俗の祭りでまつられる対象、またはユダヤ教・キリスト教・イスラム教などの超越的絶対者。仏教では、仏や菩薩の権現・守護者などとされ、仏とは区別される。 「 −に祈る」 「 −のお告げ」  哲学で、世界や人間の在り方を支配する超越的・究極的な最高存在。 (国語辞典の大辞林より)>

 この言葉について、私は子供の頃から両親、親戚あるいは地域(大村市福重地区)の方々から、たまに聞いたことあります。その一部の似たような例で、下記のような会話でした。

 A.(大村弁で)「朝に来(こ)らした、あん人の話は、騒動神やったバイ」 <共通語意訳:朝に来た、あの人の話し方は(一人でしゃべりまくって)(まるで)騒動神みたいにうるさかった>

 B.(大村弁で)「今日のオイの話は、騒動神のごたる話になって、すんませんやったなあ」 <共通語意訳:今日の私の話し方は、騒動神みたいにうるさく一方的な話になってしまって、すみませんでした>

 上記2例でもお分かりの通り、(上野の解釈ながら)今回の言葉、「騒動神とは、立て板に水を流すように次からつぎへと、一方的に神様と同じ位、知っていることを話す様」と解釈できるでしょう。私は、生まれも育ちも現住所も大村市福重地区内に住んでいますので、この話の雰囲気や話した人の性格までも一応ながら分かります。

 ですから、この騒動神と言う言葉は、通常いい意味で使われません。 むしろ、この言葉を使って他人を評価する時は、やや嘲笑(ちょうしょう=あざけり笑うこと。大辞泉より)した感じになります。逆に、自ら言う場合は、卑下(ひげ=へりくだること。大辞林より)した言葉でしょう。

 ただし、念のために書きますが、話した人を全て愚弄したような評価でもないのです。話した内容や豊富な知識があることが前提で、ただ話し方そのものが片側通行だったということです。微妙な言い回しながら、広範囲で多くの情報(知識)を持っていないと、相手に勝るような話し方もできないでしょうから、そのことは聞く側も評価もしておられるでしょう。

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 今回の言葉とは逆に、一般に「話し上手は、聞き上手」と言う解説もあります。自分が出来ないことを棚にあげて言いますが、まさしく、その通りだと思います。 人の会話は本来、双方向で成り立つのであって、何かの演説や講演とは違うからです。そして、たまに「あの人は、一銭の金にもならないのに、人(自分)の話を良く聞いてくれた」と言って感謝されている話も聞きました。

  さらに言えば、生きていく上で沢山ある悩み事(人生相談など)の90%以上は、「聞いてもらえただけで解決の方向」とも何かの雑誌に書いてありました。それほど会話そのものは、時として重要なことなのでしょう。私自身は、今回の騒動神の域にも達しない、ただただ「うるさい」者だけでしょうが、少しは気を付けつつ、会話を楽しみたいなあと思っています。


(記:2017年7月3日)

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