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聞いた言葉・第194回目、人類は互いに助け合うべきだ

 

人類は互いに助け合うべきだ

 今回の言葉は、チャップリンの映画『独裁者(原題:The Great Dictator、1940年公開、アメリカ映画)の日本語字幕からです。監督・ 脚本・製作・主役(二役)は、チャールズ・チャップリンです。この映画は、私が説明する必要のないくらい有名な映画ですが、下記の辞典やヤフー映画紹介を引用して概要を先に書きます。(右下側写真は映画『独裁者』DVD写真から)

・チャップリン(Charles Chaplin)=(1889〜1977)イギリス国籍の国際的な映画監督・俳優。寄席芸人の子としてロンドンに生まれ,母の病気と父の死後,下町で浮浪児同然のどん底生活を経験,8歳で芸人として初舞台を踏んで天分を認められた。17歳のときイギリスで人気を集めていた喜劇一座の劇団員となり,踊り,歌,道化,ものまね,パントマイムその他,のちの喜劇俳優としての成功を支えることになる基本的な技術とスタイルをすべて身につけた。 1912年,アメリカ巡業中に,勃興期にあったアメリカの喜劇映画のパイオニアであったマック・セネットに認められて,13年にキーストン社に入り,《成功争い》(1914)に初出演した。(世界大百科事典より)

映画『独裁者』:<18年の第一次大戦末期、トメニアのユダヤ人一兵卒チャーリーは飛行機事故で記憶を失い入院する。それから数年後のトメニアは独裁者アデノイド・ヒンケルの天下で、ユダヤ人掃討の真っ最中。そんな折、退院したチャーリーは生まれ育ったユダヤ人街で元の床屋の職に戻る。親衛隊の傍若無人ぶり、特にそれが恋人ハンナに及ぶに至り、彼は勇猛果敢かつ抱腹絶倒のレジスタンスを開始。それがどういうわけかヒンケル総統の替え玉を演じさせられることになり……。>(ヤフー映画紹介より)

 今回の言葉は、映画のどのシーンで登場するかと言いますと、それはラストの約6分間にも及ぶ演説の前半に出てきます。日本語字幕では「人類は互いに助け合うべきだ」 で、英語字幕では、We all want to help one another. Human beings are like that. です。 日本語字幕は、文章の長さ制限もあろうかと思いますし、また単語一つごとの訳では逆に訳分からなくなるでしょうから、この字幕は短いながらも真をついているのではと、私は思っています。

 この長い演説は、色々な映画解説などを参照しますと、独裁者ヒットラー(映画の場合は”ヒンクル”)に間違われた床屋のチャーリーが、トメニア軍(ドイツ軍)によって占領されたオストリッチ(オーストリア)国の首都で大勢の軍隊や群衆(何千何万人か)を前に演説をする羽目になります。その前に内相兼宣伝相のガービッチ(ゲッベルス)が、民主主義の否定、大衆の国家服従、占領国の併合や独裁者(ヒンクル)総統(世界の君主)への絶対服従を話します。

 しかし、その次に登壇した床屋のチャーリーは、独裁者の考えとは全く逆の内容で、支配も征服もしたくない、民族の自由、助け合い、援助、美しく楽しい人生などを切々と力強く訴えます。このページでは詳細書きませんが、同じ演説中、例えば「人々よ、希望は捨てるな」、「絶望してはいけない」なども述べます。そして、この演説に対して最後に、大群衆から万雷の拍手が巻き起こります。

 この映画が、なぜ1939年から作られ1940年に公開されたかと言いますと、それはナチス・ドイツや独裁者ヒットラーの危険性の告発、さらには、それらに対する怒りの表現だったのでしょう。実は、この年前までアメリカは第二次世界大戦への本格参戦はしておらず、太平洋戦争も真珠湾攻撃(1941年12月8日)のずっと以前で、分かりやすく言えば”ノンビリ”感のある状況だったのでした。ですから、この映画やチャップリンに対しても、賛否両論あったようです。

 そして、1940年の映画公開以降、実際の世界各国では、第二次世界大戦を始め何が起こり、その結果どうなったのでしょうか。簡単には書けませんが、当時の人々の想像をはるかに超えた人的犠牲、さらにはユダヤ人虐殺、最後の方では広島・長崎への原爆投下まで起きました。

 今回の言葉「人類は互いに助け合うべきだ」と真逆のことを実施するために、様々な大義名分や正当化した言葉を用いて第二次世界大戦へ導いた独裁者たちのやり方は、あまりにも酷い(ヒドイ)結果しかもたらさなかったのも、ご承知の通りです。また、権力を用いて戦争へひた走った独裁者たちも、ヒットラーやゲッペルス宣伝相の家族は子供も含めて自殺しました。

 まさしく独裁者の末路は、哀れなものでした。また、彼らの行動や話も、「あんなヒドイことは二度とやってはいけない」という以外は、何のためにならないことばかりと思われます。それに比べ、チャップリンの演説は、今(2015年7月現在)から75年前の内容と思えないくらいに現在でも全世界で通用する、あるいは意義のある、さらに言えば様々な諸問題噴出の中で解決の展望を示す貴重なことが語られています。

 この演説内容に対して、中には「理想論だ、現実は不可能だ」みたいな意見もあるのかもしれませんが、はたして、そうでしょうか。分かりやすい例として、1954年に中国とインド間で交わされた平和五原則(次の国語辞典参照)という有名な共同声明があります。(念のため、中国とインドは、この共同声明の前も後も、紛争や諸問題もあることは確かです)

平和五原則=1954年、インド首相ネルーと中国首相周恩来との共同声明の中にもられた両国の国交の五つの原則。相互の領土と主権の尊重、相互不可侵、内政不干渉、平等互恵、平和的共存からなる。(大辞泉より)


 この平和五原則とチャップリンの演説内容と一言半句同じだと言いませんが、全体を見れば国家間の基本的認識として共通性があるように思えます。どちらとも、「武力には武力を!」、「紛争には紛争を!」、「テロにはテロで!」みたいなやり方ではないことは確かです。また、先の攻撃的なやり方は、第二次世界大戦以降も世界では数多くありましたが、根本解決になったのでしょうか。

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 例えばイラク戦争前にアメリカは、その大義名分として「イラクには大量破壊兵器がある」とか「911テロと関係ある」みたいに世論に訴え、多くの反対を無視して戦争をしかけました。しかし、イラクには大量破壊兵器はなかったばかりか、何の責任もない子ども含めて多くの市民が犠牲になったのは、ご承知の通りです。また、テロ対策についても、なくなるどころか、かえって以前よりも拡大再生産され、多くのアラブ各国へ広がっていきました。

 私が思うに今回の言葉「人類は互いに助け合うべきだ」は、国家間では簡単なことではないと言えます。仮に両国間・各国間で諸問題があったとしても、忍耐強く、とにかく、お互いに知恵を出し合って協議し、解決の道を探っていかない限り、どちらも不幸になるばかりでしょう。そして、その解決方法は、人類規模で求められていると言うことでしょう。


(記:2015年7月13日)

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