聞いた言葉・第222回目、何事も大元までたどらないと大事なことを見落とすものだ
何事も大元までたどらないと大事なことを見落とすものだ 今回紹介の言葉は、映画のワンシーンからです。その関係上、あらかじめ書きますが、私は、映画について、見ている間で楽しめば、それで良いという考えの持ち主です。また、映画内容は、原作や脚本(シナリオ)がある通り、それは、実際あった事実関係を精査して記述する歴史書(本)とは根本的に違う、別物と考えてもいます。ですから、映画の各シーンや話の内容は、歴史的事実と似たこともあれば、逆に全然違うこともあるのは、当然だとも思っています。そのようなことから、今回紹介の言葉も先の範囲内のものですので、その点は、ご了承願ます。 次に、この言葉は、どの映画で、どのシーンで聞いたかということです。私は、映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六(れんごうかんたい しれい ちょうかん やまもと いそろく) 太平洋戦争70年目の真実」(監督:成島出、主演:役所広司、2011年12月23日公開)をDVDで何回か見たことがあり、今回紹介の言葉の出所は、この映画からです。 次から、その映画のどのシーンで、この言葉が出てくるのか、その概要を書きます。山本・連合艦隊司令長官が、まだ海軍事務次官当時の、1939(昭和14)年8月頃、海軍省の一室で軍人達(海軍省勤務の将校達)が、日独伊三国同盟の論議をします。ご参考までに、この時期よりも前から政治(外相、陸軍など)では、日独同盟(後の日独伊三国同盟)の動きが加速していました。
そのような時期に、海軍内部でも陸軍と同じような3国同盟推進派がいて、その論議のシーンで今回の言葉が出てきます。まず、先の海軍の一室で、将校達が山本(次官)や井上(軍務局長)へ、次のような言葉で三国同盟推進を迫ってきます。<注:下記は映画のシーンの概要で、太文字や( )内などは分かりやすくするため上野が補足した。もしも、引用される場合は、是非この映画のDVDから、お願いします> 将校達:「(山本)次官、次官は、なぜ我が盟邦ドイツの力をお認めにならないのですか?」 山本:「盟邦だあ? ずいぶんドイツに、ご執心だなあ。そこまで言うならヒトラーの書いたマインカンプ(「我が闘争」)などは相当読み込んでいるんだね? 将校達:「もちろん、隅々まで読みました」 井上:「(書庫からドイツ語版の「我が闘争」の原書を取り出して、将校達にドイツ語で読んで聞かせた後、和訳して) つまり、日本人は想像力の欠如した劣等民族だが、小器用で小利口でドイツの手先として使う分は役に立つ」 (将校達は、その和訳に驚愕して直ぐ様、次の言葉で反論した) 将校達:「そのようなことは、どこにも書いてありません」 井上:「あー、書いてない。貴様らの読んだ本の11章は、都合良く削られているからだ」 山本:「残念ながら君たちの読んだ日本語訳では肝心な部分が抜けて落ちているようだね。何事も大元まで、たどらないと大事なことを見落とすものだ」 (直後、室内に入ってきた別の将校から当時、日本の仮想敵国だったソ連とドイツが不可侵条約を結んだ情報を言ってきた。すると、すかさず、井上が次の言葉で将校達に言い聞かせた) 井上:「貴様らの盟邦は宿敵と手を組んだぞ!」 (これを聞いた将校達は青ざめるように驚いた表情をした) 概要は、以上ですが、このシーンが史実で、あったか、なかったは本ページ冒頭にも書いた通り、別問題です。ただ、私が注目したのは、このシーンの発言=「何事も大元まで、たどらないと大事なことを見落とすものだ」の一点です。このようなことは、何も先のような映画の世界だけでなく、今でも現実の仕事、生活上あるいは広く社会一般でも、似たような事例があるのではないでしょうか。しかも、「他人事」ではなく、自らの事柄としても。 私は、人を信じることは良いことだと思います。しかし、最も公共度の高いと思われる国会(国権の最高機関)に対して、桜を見る会などで当時の安倍首相は、118回も嘘を付き、さらに森友問題などでは、首相答弁に合わせるため、公文書を改ざん、隠ぺい、廃棄、さらには、それらを実行させられた官僚は、苦にして自殺まで追い込まれたのは、各種報道の通りです。 普通なら国会の論議で、平気で嘘や改ざんの文書が出回るなど、国民は考えも及ばないことです。しかし、現実は先の通りですから、それよりもレベルもラベルも違う分野では、様々なことが起こりうるでしょう。仮に、ある事柄を頭から信じ、他の事例との対比や再確認をせず、例えば自ら仕事で損したとかです。そこまで行かないまでも恥をかいたり、信頼を無くしてしまうなどは、今までなかったでしょうか? 逆の場合の極端な例で、詐欺行為に遭ってしまったとか。 あと、歴史事項関係でも、そのようなことがあります。分かりやすい例のひとつとして、戦国時代、日本に来日した宣教師ルイス・フロイスが作成し、ヨーロッパに書き送った報告書があります。この内容は、当時の日本を知る上で貴重な資料(史料)とも言われています。しかし、 (2008年、大村市内で開催の)長崎県考古学大会で講演された各先生が、今回紹介の言葉と同じようなことを言われたことがありました。 それは、「ルイス・フロイスの記録は貴重だが、間違いも多い。<年月日、地名(場所)、人物、大きさ、方角、距離の間違い記述など>」 「だから、日本側に残る一次史料を調べて、再確認が必要だ」と。私は、これを聞いた後、「なるほど。それは、そうだなあ」と思うようになりました。つまり、先の先生方は、今回紹介の言葉と同じように、「いくら貴重な資料であっても、それが本当に正しか、どうかは、大元までたどらないいけない」と私達聴講者へ教えておられたのだと思いました。 できれば、今回紹介の「何事も大元まで、たどらないと大事なことを見落とすものだ」にならないようにしたいものです。ただし、探求度には、限度限界もありますので、それでも間違っていれば、素直に直したいものです。 ----------<用語解説>(大辞泉より)--------------- 日独伊三国同盟(にちどくい‐さんごくどうめい)=昭和15年(1940)日本・ドイツ・イタリアの間で結ばれた軍事同盟条約。日独伊防共協定が、第二次大戦初頭のドイツ優勢の状況下で発展、成立したもの。敗戦により崩壊。 米内光政(よない‐みつまさ)=(1880~1948)軍人・政治家。海軍大将。岩手の生まれ。海軍の要職を歴任ののち、 昭和15年(1940)首相。日独伊三国同盟を望む陸軍と対立して総辞職。その後、海相として戦争終結と海軍の解体に当たった。(大辞泉より) 山本五十六(やまもと‐いそろく)=(1884~1943)軍人。海軍大将・元帥。新潟の生まれ。海軍要職を歴任。昭和14年 (1939)連合艦隊司令長官となり、太平洋戦争で真珠湾攻撃・ミッドウェー海戦などを指揮し、ソロモン諸島上空で戦死。(大辞泉より) 井上成美(いのうえ‐しげよし)=(1889~1975)軍人。海軍大将。宮城の生まれ。軍務局長・第四艦隊司令長官・海軍次官などを歴任。日独伊三国同盟に反対、空軍を重視し大艦巨砲主義を批判。(大辞泉より) ーーーーーーーーーーーーーーーーー---------- |
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