聞いた言葉・第223回目、若者(現役世代)に活力(未来)を、老人に安心(保障)を
若者(現役世代)に活力(未来)を、老人に安心(保障)を 今回紹介の言葉は、国内外あるいはどの分野の方も、この通りの文章表現では当然ありませんが、良く使われています。ですから、この言葉の引用書籍(原典)とか、元々誰が言い始めたのか調べきれませんでした。ただし、チャールズ・チャップリンの映画「独裁者」(1940年公開、主演:チャップリン、アメリカ映画)の最後の演説シーンで、この言葉と似た表現が語られます。
あと、先の「」内だけでは分かりにくいので、この名演説シーン全部と、その後、女性(ハンナ)が希望を見出したような笑顔でラストシーンになりますので、是非ご覧願います) 私は、今回紹介言葉も、このチャップリンの名演説時の内容も、その趣旨は、同様と思っています。 今回の言葉は、日本の各界各層で語れていることは、先に紹介した通りです。例えば毎週毎日のように報道などで登場されている政府・地方行政はじめ経営団体、その社長など、どなたでも言われています。これと似ている分かりやすい例として首相官邸ホームページに安心社会実現会議のまとめとして、次の表題の内容があります。 安心と活力の日本へ(安心社会実現会議報告) 平成21年6月15日 安心社会実現会議 (ご参考までに、この会議の参加者名は、「名簿」も書いてあるページからも閲覧できます) この作成年(平成21年)は、西暦2009年です。普通は極当然の言葉であるはずの「安心社会実現」の標題を、わざわざ使って報告書を何故まとめざる得なかったのか? (改めてイチイチ言う必要もないような表現を用いて政府は、報告書を作成したのでしょうか?) それは、その数年前からの(リーマンショックなど含めて)世界的な金融危機が発生して、日本も大不況となり、会社倒産、失業者の増大、就職難などが一気にありました。結果、当時マスコミでは、次の「」内の言葉も良く使われました。 「会社倒産」、「大量解雇」、「格差社会」、「不安定雇用者の増大」、 「ワーキングプア」、「ネットカフェ難民」、「ホームレス」、「医療制度の不安」、「年金不安」、「過労死」、 「年間自殺者3万人」などです。つまり、社会不安の増大です。だからこそ、政府も“何かしている感”を国民に見せるために、「 安心と活力の日本へ(安心社会実現会議報告) 」を作成したのでしょう。 しかし、この作成年から既に(2021年現在で)約12年も経つのに、「安心社会実現」になっているでしょうか? 先の社会不安要素は、改善されたでしょうか? ここ数年の新型コロナ問題と一緒には述べられない点は、注意しつつも、10数年前以上に悪化しているのではないでしょうか。 その象徴的な例が、今回の言葉の前半である「若者(現役世代)に活力(未来)を」でいえば、「求人は非正規雇用が多い」、「もう20年近く給料が上がっていない」、「収入が少なく不安定なので結婚も言い出せない」、「定年以降の働く場所がない」など、さらには「近年、東南アジアの経済発展に伴い所得が増え、日本が追い越されつつある」とも聞きます。 次に、今回の言葉の後半、「老人に安心(保障)を」部分です。この件、何とか会社などを無事定年退職しても、年金の安さだけでなく、その低額の年金から問答無用で老人介護保険など諸税金が差し引かれ、唖然(あぜん)とするのは年金生活者なら多く語る必要のないことでしょう。つまり、今回の言葉=「若者(現役世代)に活力(未来)を、老人に安心(保障)を」になっていないということです。 それに比べ、日本と同じか、それ以上に金融不安に見舞われた同じ先進資本主義国やヨーロッパ各国の状況は、どうでしょうか。私が、2014年12月にヨーロッパに行った時(この時に見聞きした内容は、既に掲載中の「シュトゥットガルト・バルセロナ旅行記」参照)、経済好調のドイツだけでなく、2012年に金融不安で国自体が危ういなどど日本で報道されていたスペインさえも経済は回復しつつありました。 バルセロナでは、昼夜問わず街中に老若男女や観光客なども含めて賑わっていました。また、各所では工事現場の槌音(つちおと)さえ響き渡っていました。つまり、ヨーロッパ各国は、大小の問題ありつつも今回の言葉=「若者(現役世代)に活力(未来)を、老人に安心(保障)を」のベースそのものは、維持されていたと感じました。 私個人の考えながら、このヨーロッパ各国の共通したベースは、原則「教育費無料」「医療費無料」さらには満足度の高い失業給付金と年金額などにあると見ています。つまり、好不況の波はあっても、このベース維持があるからこそ安心して消費にまわす力が、ヨーロッパ各国の国民にあるのでしょう。 それに比べ、日本でもベースなはずの教育・医療・年金などは、改悪につぐ改悪だったのは、ご承知の通りです。これだけ改悪しておいて、「国民へ安心を」(「百年安心年金」の標語もありましたが)とか、現在も新型コロナ対策で国民は実効ある具体的対策を求めているのに、まるで壊れたレコーダーのように「安心・安全」との言葉を繰り返すだけです。しかし、その結果は、さらに医療崩壊になるほど患者が増えている状況なのに、国民は安全・安心と感じる人がいるのでしょうか。 しかし、何故、同じ先進資本主義国で、しかもヨーロッパの国よりも経済力(世界第三位)のある日本が、ここまで落ち込み苦しんでいるのでしょうか? どうして日本は逆に、教育も医療も改悪され負担が増えていくのでしょうか? なぜ、かつての発展途上国と言われていた東南アジア諸国の給与水準が日本を追い越しかけているのでしょうか? 新型コロナ以前ならば、中国・韓国・東南アジア諸国からの観光客が多数来られ、”爆買い”という言葉まで流行しました。この要因は、単に距離で日本が近いだけでなく、先の諸外国の方々は、かつての後進国並みに日本の物価が安いように見えたので来日観光客が急増したのでしょう。 この日本の物価が安いという根本要因は、安くないと収入の少ない日本人は買えないから(売れないから)安くせざるを得ないのでしょう。「物価は安い方が良い」という消費者の願いは誰でも持ってますが、その安い別の要因も見ていかないと真実が見えてこないような気がします。 人は言うことよりも、やること見よ」との言葉もあります。先に紹介しました首相官邸ホームページに掲載されている「 安心と活力の日本へ(安心社会実現会議報告) 」の中にも、大変良い言葉も書いてあります。しかし、それだけ立派なことを並べるだけでなく、実践しているならば、なぜ国民生活の悪化や先行き不安が改善されないのでしょうか? そして、今回の言葉=「若者(現役世代)に活力(未来)を、老人に安心(保障)を」は、名実ともに、この日本ではなっていないです。もっと分かりやすい表現ならば、国民は騙されてきたのではないでしょうか。これらを変えるには、結局のところ、政治そのものを根本的に直さないと、ますます悪化していくだけでしょう。このような状況下で一人一人では弱い国民でも行使できる権利=選挙権は、有権者なら持ってます。 そして、私は、この「聞いた言葉(もくじ)シリーズ」で何十回となく繰り返している言葉があります。それは、「全ての人をいつまでもだまし続けることは出来ない」と、「明日の天気は変えられないが明日の政治は変えられる」などの言葉です。これらは、決して夢物語ではなく、先に同じ先進資本主義国のヨーロッパ各国でも改善してきた経過や、進展著しい東南アジア諸国の例が、参考になるのではないでしょうか。 同じ人間が住む諸外国にできているのですから、日本人だって政治さえ変えていけば必ずできるはずと思います。そして、「若者(現役世代)に活力(未来)を、老人に安心(保障)を」は、現在も将来も日本発展のベースになることでしょう。 |
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