聞いた言葉・第224回目、国民との矛盾政治は行き詰まる
国民との矛盾政治は行き詰まる 今回紹介の言葉は、誰か言ったとか、何か書籍に書いてあったとか、とりたて言うまでもなく、一般に良く使われている言葉です。特に、多く見聞きするのが、国家権力を用いて一見強いように見える内閣総理大臣(首相)の政権投げ出しや、大臣などの引責辞任の時などです。 政治は、学校で習ったり、最下記の国語辞典の通り、本来は日本国の主権者である国民のためにあるはずです。しかし、現実の政治は、戦後、一時期を除けば、「外交・防衛はアメリカの言いなり、内政は財界の言いなり」の言葉通りで続いてきました。改めて先の「」内の言葉自体が、今回紹介の言葉でもある国民との矛盾そのものです。一つひとつ例を挙げるまでもなく、その考え、立場や手法も国民の声など、どこ吹く風のごとくが多いです。 最近の例ながら新型コロナ問題では、「後手後手・小出し・的外れ」といわれ続けた結果、感染爆発、医療崩壊が進み、「自宅療養が基本」方針となり、健康保険を真面目に支払っている国民が、まともに医療さえも受けられない事態になりました。実際、医療が受けられず自宅で亡くなられた方もいます。さすがに、こればかりは野党だけでなく与党からも反発があったのは、報道でご承知の通りです。その新型コロナ問題で、感染が起こった時から、もう直ぐ2年近く経ちます。 新型コロナの件は、(別テーマなので)詳細に書きませんが、この間、全部が全部では当然ありませんが、ニュージーランドやオーストラリアなどの諸外国を見聞きしますと、必死に対応していたように思えました。それに比べ日本は、この種の問題で最重要な初期対応に出遅れと間違いがあり、結果、ワクチン接種も遅れにおくれました。また、正確性に疑問符の付く抗体検査に固執して、PCR検査を早期に広く実施しなかったことも対応遅れになったと言われています。逆に、急ぐ必要があったのか、どうかのGo Toトラベルや東京オリンピックなどには、その実施にあたって新型コロナ対策以上に熱心だったのではないでしょうか。 菅首相は、この就任1年間だけでなく、官房長官時代含めればずっと内閣の大臣です。新型コロナ問題の約2年間近くだけでも、その対応の最高責任者の一人であり、本当にその気があれば「後手後手・小出し・的外れ」対応でない、まともなこともできたはずです。しかし、結果は、先に述べた通りです。 これらの対応は、戦前の戦争終結に向けた考えとも似ています。一例としてサイパン島での戦いに日本軍は敗れ、その後、アメリカ軍機B29の日本本土への空襲が激化して敗北せざるをえないと分かっていても、「まだ、何とかなる」「一億総突撃すれば勝てる」と根拠なき希望的観測で終始し、無謀な戦争継続していった経過があります。歴史に、「もしも・・・だったならば」の言葉は用いるべきではないといわれています。しかし、その当時も「終戦(講和)に向けて、どうするか?」などは、有力者間でも動きはあったのです。 ただし、戦前と戦後の大きな違いは、国民(有権者)の一票によって、その気になれば「国民の立場に立つか、立たないか」の判断で選挙し、その人(議員)を当選させることも、逆に落選させることもできるという点です。そのことが、先にも述べた通り、一見強いように見える内閣総理大臣であっても、国民の願いと逆行した政治を続けようにも続けきれない=国民との矛盾政治は行き詰まるものといえるでしょう。 そして、私は、この「聞いた言葉(もくじ)シリーズ」で何十回となく繰り返している言葉があります。それを重ねて、このページでも書きたいと思います。つまり、「全ての人をいつまでもだまし続けることは出来ない」と、「明日の天気は変えられないが明日の政治は変えられる」などの言葉です。国民一人一人は弱いように見えても、まとまった国民世論の力が、今回の内閣総理大臣(首相)の政権投げ出しにつながったともいえます。ここが戦前と違うし、今後の展望にもなるのではないでしょうか。 <用語解説> ・政治(せいじ)=1 主権者が、領土・人民を治めること。まつりごと。 2 ある社会の対立や利害を調整して社会全体を統合するとともに、社会の意思決定を行い、これを実現する作用。<デジタル大辞泉より> ・内閣総理大臣(ないかくそうりだいじん)=内閣の首長である国務大臣。国会議員の中から国会の議決によって指名され、天皇により任命される。内閣を組織し、閣議の主宰、行政各部の指揮・監督を行うほか、内閣府の長として所管の事務を担当する。首相。総理大臣。総理。<デジタル大辞泉より> |
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