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聞いた言葉・第234回目、『ゆ党』は与党の補完政党

『ゆ党』は与党の補完政党
 今回の言葉は、戦後しばらくして生まれた上野でも大人になり、それから今の後期高齢者近くになるまで諸先輩から、その都度少し表現は違えど、ずっと長年聞いてきました。特に、大阪時代の先輩方からは、よく聞き、しかも標題よりも、もっと強い表現でした。 次に、国語事典の次の<>内(青文字)の解説をご参照願います。ゆ党=「ゆ」が五十音で「や(野)」と「よ(与)」の間にあるところから 野党として対立するわけでもなく、与党と連立を組むほどでもない、中途半端な政策方針を掲げる政党を揶揄やゆした言葉。>(デジタル大事泉より)

国会議事堂(2019年9月7日撮影)
 あと、日本は、戦後の政治を語る場合、次の「」内の言葉もあります。「内政は財界(大企業)の言いなり、外交・安保はアメリカの言いなり」 そして、この「」内の言葉は、80年近く変わらずに使われています。つまり、長年変わっていないのは、口先で「国民のため」とか「中小企業も守る」とか言う与党であったしても、やっていることは、先の言葉通りだったということでしょう。

 「失われた30年」という言葉で代表されるように、日本経済の地盤沈下は甚だひどく、「中小企業の倒産」「医療制度の不安」「格差社会」「過労死」「年金不安」などの用語が、過去何十年もの間、報道などで消えたことがありません。さらに、賃金アップが過去何十年も無いとか、あっても低額アップだったとかで、物価急騰に追いつかない生活苦が続いているのは、明らかです。

 (『国民を裏切る国会議員の用語集』を参照) それに比べて国会議員の中には、政治資金を裏金、中抜き、キックバックなどして、表に出ているだけでも何百何千万円(もっと億円単位の議員もいるとか?)との収入を得ていても、真面目に反省するのでなく言い訳に終始したり、さらには平気で次の選挙にも立候補している議員もいました。このような政治家が、まともに国民に向いた政治ができる訳ありません。

 また、それらに対して、国民(有権者)が怒るのは、当然のことでしょう。その代表的な国民の意思表示の一つが、2024年10月の総選挙結果で、与党が少数与党になったことです。本来ならば、この結果を受けて与野党とも、従来政治を根本的に変えるべきでした。しかし、国民本位の政治をしたとか、先に紹介した言葉の「内政は財界(大企業)の言いなり、外交・安保はアメリカの言いなり」の政治が変わったなあという実感は、無かったと思えます。

 また、昨年の総選挙で躍進した「ゆ党」みたいな政党が、目先の変わったことを言ったり、やったりしても諸問題の根源そのものは変わらず、結果、さらに物価高騰や生活苦は続くばかりでした。これらのことは、結果論では無く、多くの方にとって最初から分かったことでした。仮に人の病気に例えれば、その原因そのものを治療せずに、いくら新薬でも処方箋と違う薬を飲んでも治らないのと同じでしょう。つまり、悪い政治の根本から変えようとせず、今の与党の大枠内で、目新しくそうな政策を求めても、良くなる訳がないでしょう。

 これらのことは、何も今回が初めてではなく、例えば、1976年に発覚したロッキード事件という田中角栄前首相までもが逮捕という有名な日本政治の疑獄事件がありました。そして、当時の国民の怒りも強く、与党政党にとって危機的な状況でした。その時(総選挙前)に登場してきたのが新自由クラブという冒頭の「ゆ党」みたいな政党でした。(注:ロッキード事件新自由クラブの用語解説ついては、下記点線内のデジタル大辞泉を参照)
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 ロッキード事件とは、---米国ロッキード(Lockheed)社の大型旅客機の日本売り込みに際し、多額の賄賂が政界に渡された疑獄事件。1976年の米国上院外交委員会で発覚し、事件当時の首相であった田中角栄をはじめ政府高官や商社・航空会社幹部らの逮捕・起訴に至り、大政治問題となった。平成7年(1995)2月、最高裁判決で有罪が確定。
 新自由クラブとは----昭和51年(1976)自由民主党を離党した河野洋平ら6名の国会議員が結成した政党。自民党に抗する保守二大政党の一翼を目ざしたが、自民党への復党者が絶えなかった。同58年に自民党との連立政権に参加。同61年解党。
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  そして、最初の選挙では、国民はそれまでの政党と違うように見えたのか、新自由クラブは、一挙に17議席を得ました。しかし、その後、与党への補完だけでなく、復党や連立までして、最後は解党までしたのでした。この目新しい政党名や言い方に期待した国民は、結果、だまされたということです。つまり、「ゆ党」と言うのは、国民のことより、政治家が「大臣になりたい」「そのために与党になりたい」という考えと行動だったのです。

 しかし、この新自由クラブという「ゆ党」の経過や末路は、それらを期待して騙された国民にとって、苦い教訓も得たのでした。それは、いくら目新しそうに見える補完政党を伸ばしても国民にとって悪い政治は何も変らないと言う貴重な教訓でした。この貴重な教訓は、今は、もう忘れた方が多いのでしょうか?

 なお、戦後しばらくの間は、今よりは政党の数も多くなかったと記憶していますが、この新自由クラブ以降、けっこう増えたような感じがしています。そして、色々な政党を渡り歩いたり、新政党を結党したりと、簡単に覚えきれないほどの政党数です。また、政治家も次の川柳「俺は今 どこの党だと 秘書に聞き」と作句されるほど変わり身の速い政治家がいるようです。

私の関係ホームページ
 国民を裏切る国会議員の用語集
 金で議席(票)を買う
 空気で作られた「真実」と「正義」
 明日の天気は変えられないが明日の政治は変えられる
 全ての人をいつまでもだまし続けることは出来ない
 李下(りか)に冠(かんむり)を正さず
 反対意見にも真理あり
 大本営発表
 友情で結ばれた絆は強いが、金で結ばれ集団は違う
 真実を自分で探す時代
 日本経済の地盤沈下が止まらない
 「日本型経営」が危ない
 ○○の大儀、私心なくば揺らぐことなし
 報道が仕えるべきは国民だ。統治者ではない
 大局観察、小局着手
 常に自制心と謙虚さを持って
 若い科学者1人の価値は老いた政治家20人分だ
 雰囲気選挙より政策の判断を
 魚と組織は頭から腐る
 人は言うことよりも、やること見よ
 統制に弱い日本人、同調圧略
 私は、一般人は誰であろうとも、十人十色で様々意見があっても当然だし、むしろ良いと思います。しかし、国民に責任持って政治に当たる国会議員が、その都度の状況や政党間問題で、先の川柳のごとく、政党間を渡り歩いたり、政党助成金目当てて新党設立などしているのは、国民に向いた考えでなく、自分都合とも思えます。せいぜい数十名か、多くても数百名の国会議員の政党がまとめきれなくてどうして1億数千万もいる国民をまとめきれるのでしょうか

 目新しい政党名やキャッチフレーズ的な政策だけでなく、今、国民が一番困窮している要因は何か。そして、その根底に戦後80年近く変わらないままの「内政は財界(大企業)の言いなり、外交安保はアメリカの言いなり」を根本から変えていかない限り、今の与党や、その補完勢力の「ゆ党」が、いくら伸びても、より一層国民生活はヒドクなると思われます。

 最後に私は、この「聞いた言葉シリーズ(もくじ)」に毎回のように書いています次の二つの言葉で今回もまとめたいです。「全ての人をいつまでもだまし続けることは出来ない」 「明日の天気は変えられないが明日の政治は変えられる


(初回掲載:2025年7月7日、第二次掲載日;月 日、)

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